リッタ達の話もギータもありがたいと思うけどなぁ
ギーターは解釈が難しい上に人によって違うらしいから、上村勝彦著 バガヴァッド・ギーターの世界を読んでみたら? “空の青さが視覚的な幻影であるように、
この世界の現れは精神の錯乱でしかない。
それに思いを馳せるよりは無視したほうがいい。
「世界という現象は非実在である」という確信が自分の内に起こらないかぎり、
不幸からの自由も、自己の本性の実現も不可能だ。”
― 『ヨーガ・ヴァーシシュタ(Yoga Vāsiṣṭha):至高の真我』スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ、福間巌 訳、ナチュラルスピリット、2021年、p16 いかにして哲学は100年前に滅亡したか
1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。
2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。
3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。
4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。
5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。 何やっても無駄ですよ
人生は小学生までで決まるのですから。 >>104
最古の宗教学
“いま、地球上に現存していてしかも実際に観察できる宗教の中で、
最も古代的な形態を残している宗教というのは何かというと、
それはオーストラリア・アボリジニの宗教です。
人類はまずアフリカを出て、ペルシャ湾を海岸沿いに移動し、インドへ入り、
そして、アンダマン諸島とかアイランダ島なんかのインド洋の島々から、
いろんなところへ広がっていきました。
エリアーデにしても、エミール・デュルケム(Emile Durkheim)にしても、宗教学を勉強する人は、
オーストラリアの先住民の宗教を研究するというのを出発点としていたわけです。
僕が、とりわけ強い印象を受けたのは、(略)
大長老になると、遠くへ一人で出かけて行って、岩の上に座って、青空をずっと見ている。
これが、アボリジニの世界の大知識人の一つの生き方なんだということです。
そうしたことが、エルキン(Adolphus Peter Elkin)という人の本なんかに書いてある。”
― 中沢新一×河合俊雄 『ジオサイコロジー:聖地の層構造とこころの古層』 創元社 (2022) p24-28 英米のインド・パキスタン系リーダー
・サディク・カーン(ロンドン市長、労働党)(パキスタン、イスラム)2016-
・カマラ・ハリス(米副大統領、民主党)(タミル系)2021-
・リシ・スナク(英国首相、保守党)(バラモン)2022-
・ニッキー・ヘイリー(米大統領候補、共和党)(インド、パンジャーブ系)2023-
・ヴィヴェック・ラマスワミ(米大統領候補、共和党)(タミル系、バラモン)2023-
・ハムザ・ユーサフ(スコットランド首相・国民党)(パキスタン、イスラム)2023- スナク首相は、国会議員としての宣誓に『バガヴァッド・ギーター』を用いた はっきりと定義されることはないが、
「現代思想」や「現代哲学」の「現代」という歴史区分の始まりは、
「インド=ヨーロッパ祖語の発見」(
>>15
)以降といえるだろうし、
世界大戦というのもその一環でしかなかった。
インド=ヨーロッパ祖語発見
↓
ナチスのアーリア人至上主義
↓
からの反省
↓
2023年広島サミット(第二次大戦終結のセレモニー)
↓
インド・パキスタン系リーダーの台頭
そして、今はもう「ポスト・世界大戦」のフェーズに来ている。 <高校の世界史的図式>
イスラム/スンナ派 イスラム/シーア派
(サウジ等、アラビア語、セム語系) (イラン等、ペルシャ語、インド=ヨーロッパ語系)
コーラン、旧約聖書、新約聖書 .↑
↑ |
│ |
キリスト教 |
イエス(ユダヤ人、アラム語、セム語系) |
新約聖書(ギリシャ語、インド=ヨーロッパ語系) .|
↑ |
│ |
ユダヤ教 .|
旧約聖書(ユダヤ人、ヘブライ語、セム語系) .|
↑ |
└──┬────────────────┘
│
ゾロアスター教
(ペルシャ人、ペルシャ語、インド=ヨーロッパ語系)
ユダヤ=キリスト教の特徴である「救世主」、「終末論」、「大洪水」の原型
↑
│
アーリア人(インド・イラン系)
│
↓
インドへ ユダヤ=キリスト教的な西洋文明の基層に、インド的なものが見えてきたということ。
だから、西洋哲学をやった上で、インド哲学もやらないといけない。 そう考えれば10万コースなんかー
やっぱ
車両なのかも分からん代物だが アイスタイルのリバ怖くて狙えないな
藍上はいい人だと思ったけど
決算前にやってた人とか あおい交通の職域接種具合を確認しようぜ
「じゃあ 」の意味がわからん カーストは真理である
ただ何が真理であるのかは証明不可能 ハリス氏、トランプ氏をリード 世論調査、2ポイント
https://www.47news.jp/11238440.html
> 【ワシントン共同】ロイター通信は23日、民主党ハリス副大統領の全米での支持率は44%で、共和党のトランプ前大統領を2ポイントリードしたと報じた。
・ハリス(インド・タミル系)
・トランプ(統一教会支援)
4年に1度、米大統領選の年になると、統一教会の奴らが出てきて、
哲学板や他板を荒らし、スレチな数学や科学の話題で埋め尽くしたりするのが5chの風物詩だった。 ・中国語…シナ・チベット語族
・日本語…ウラル・アルタイ語族
・朝鮮語…ウラル・アルタイ語族
・ドラヴィダ語…ウラル・アルタイ語族
トラヴィダ語は、南インドやスリランカなどに多い、インド先住民の言語。
日本語・朝鮮語とタミル語などドラヴィダ語との比較は以下が詳しい。
・大野晋『日本語はどこからきたのか:ことばと文明のつながりを考える』 中央公論新社 (1999)
・大野晋『弥生文明と南インド』 岩波書店 (2004) カマラ・ハリスは
・バラモンの家系
・カマラの名は、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーの別名から名付けられたもので、サンスクリット語の「蓮の女性」 >>131
カマラ・ハリスの父親のドナルド・J・ハリスはヒンドゥー教的には異教徒なのでシュードラであり、
ヒンドゥー教の種姓は父系なので、カマラ・ハリスをカースト制に当てはめるなら明らかにシュードラ インドで川を埋め尽くす“ナゾの白い物体”深刻な環境汚染【スーパーJチャンネル】
https://youtu.be/xzR5xs2_uGo>>110
の話の続き
“私は人類学の記録を読むことに没頭した。その中でももっとも印象に残ったのは、
オーストラリア先住民の民族誌に書かれている、こんな記事であった。
先住民の長老はある年齢をすぎて、家族や社会が彼に課した義務から解放されると、
一人でトーテムの聖地にでかけて、近くにある大岩の上に座り込み、じっと青空を凝視するのである。
青空の凝視は何時間も続く。その間、長老は身揺るぎもしない。
この記録を読んだとき、私はそれがヨーガの一種であると直観した。
数万年以上前にインド亜大陸を出てオーストラリア大陸に入り込み、
それから長い時間をかけて最初に持ち込んだ旧石器文化をゆっくりと進化させ洗練していった先住民たちは、
彼らの精神文化の頂点に、このようなヨーガの技法を据えているのではないか、と私は思った。
(略)
用心深い先住民の長老たちは、人類学者の好奇心の前に彼らの精神の秘密をさらそうとは考えもしなかった。
その秘密は、私たちが触れることもできないでいる精神の最深部に達しているのであろう。”
― 中沢新一 『精神の考古学』 新潮社 (2024) p16 中沢によると、オーストラリアの先住民アボリジニ(羅:ab origine=「始めから」の意)の人たちが青空を眺める瞑想と、
仏教における青空を見つめるヨーガとの間には類似性があり、
共に旧石器時代から実践されてきたものであることを指摘している。
アボリジニのルーツは南インド系ともアフリカ系とも言われ、4万年の歴史がある。
仏教で青空を見つめるヨーガの例としては、チベット仏教のゾクチェンや、華厳経の「空のインドラの網」などがあり、
中央アジアの土着宗教が保持してきた古い文化の名残りだとも考えられている。
中央アジアに見られる「シャーマン」の語源は、シベリアのエヴェンキ語の「シャマン šamán」(知る人)に由来し、
「シベリア」の名称は「シビル・ハン国」(シビル=鮮卑)に由来する。
この地域の人たちは、一万数千年前には陸続きだったベーリング海峡から南北アメリカへ渡り、アメリカ先住民にもなった。 『精神の考古学』では、ゾクチェンの修行における「空を見つめるヨーガ」の話の他、
「リクパ(心の本性、光)」や「ティクレ(心滴)」の見え方についても詳しく書かれている。
こういう話は、仏教の本の中でもあまり紹介されないが、
洞窟の暗闇や、瞑想中に見えるという幾何学文様のような光については、
人類学の分野では「内部光学(entoptic)」という内部発光現象として知られている。
ここまで来ると、仏教を理解するには、インド文明の他、その周辺、
中沢が『カイエ・ソバージュ』でも開陳していた環太平洋全域までやっておく必要が出てくる。