インド哲学総合スレ2

レス数: 167

概要: 前スレ インド哲学 Part1 転載禁止2ch.net https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1428450760/
No.3
基礎文献
『リグ・ヴェーダ讃歌』 辻直四郎 訳、岩波文庫 (1978)
『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌:古代インドの呪法』 辻直四郎 訳、岩波文庫 (1979)
『ウパニシャッド 翻 訳および解説』 湯田豊 訳、大東出版社 (2000)(13ウパニシャッドの全訳)
『ウパニシャド』 日野紹運、奥村文子 訳、日本ヴェーダーンタ協会 (2009)(主要12ウパニシャッドの抄訳)
『ウパニシャッド』 佐保田鶴治 訳、平河出版社 (1979)(主要12ウパニシャッドの抄訳)
『原典 訳 ウパニシャッド』 岩本裕 訳、ちくま学芸文庫 (2013)(主要5ウパニシャッドの抄訳)
『バガヴァッド・ギーター』 上村勝彦 訳、岩波文庫 (1992)(章題なし)
『バガヴァッド・ギーター』 鎧淳 訳、講談社学術文庫 (2008)(章題なし)
『神の詩 バガヴァッド・ギーター』 田中嫺玉 訳、三学出版 (1988)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター詳解』 藤田晃 訳、東方出版 (2015)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター』 辻直四郎 訳、講談社 (1980)(章題なし、〜なり調)
『実践「ヨーガ・スートラ」入門』 番場裕之 訳、春秋社 (2008)(全訳)
『現代人のためのヨーガ・スートラ』 グレゴール・メーレ、ガイアブックス (2009)(全訳)
『解説ヨーガ・スートラ』 佐保田鶴治 訳、平河出版社 (1980)(全訳)
『図説ヨーガ・スートラ』 伊藤武 訳、出帆新社 (2016)(全訳、図解つき)
『ウパデーシャ・サーハスリー:真実の自己の探求』 シャンカラ、岩波文庫 (1988)
『ブラフマ・スートラ:シャンカラの註釈 上下』 シャンカラ、湯田豊 訳、大東出版社 (2006-07)(ブラフマン表記)  
『シャンカラの哲学:ブラフマ・スートラ釈論の全 訳 上下』 シャンカラ、金倉円照 訳、春秋社 (1980-84) (梵表記)
『古典インドの言語哲学 1 ブラフマンとことば』 バルトリハリ、平凡社 (1998)
『古典インドの言語哲学 2 文について』 バルトリハリ、平凡社 (1998)
『インド最古の二大哲人:ウッダーラカ・アールニとヤージュニャヴァルキヤの哲学』 宮元啓一、春秋社 (2011)
No.4
思想史・哲学史の入門書
『インド思想史』 中村元、岩波書店 (1980)
『インド思想史』 J.ゴンダ、岩波書店 (2002)
『インド思想史』 早島鏡正、高崎直道、前田専学、東京大学出版会 (1982)
『インドの思想』 川崎信定、ちくま学芸文庫 (2019)
『古代インドの思想:自然・文明・宗教』 山下博司、ちくま新書 (2014)
『インド哲学10講』 赤松明彦、岩波新書 (2018)
『はじめてのインド哲学』 立川武蔵、講談社現代新書 (1992)
『インド文明の曙:ヴェーダとウパニシャッド』 辻直四郎、岩波新書 (1993)
『インド哲学へのいざない:ヴェーダとウパニシャッド』 前田專学、日本放送出版協会 (2000)
『インド的思考』 前田專学、春秋社 (2018)
『古代インド哲学史概説』 金岡秀友、佼成出版社 (2017)
『インド哲学史概説』 金岡秀友、佼成出版社 (1990)
『岩波講座東洋思想 第5-7巻 インド思想 1-3』 長尾雅人ほか 編、岩波書店 (1988-89)
『インド哲学思想 1 初期のヴェーダーンタ哲学』 中村元、岩波書店 (1989)
『インド哲学思想 2 ブラフマ・スートラの哲学』 中村元、岩波書店 (1989)
『インド哲学思想 3 ヴェーダーンタ哲学の発展』 中村元、岩波書店 (1989)
『インド哲学思想 4 ことばの形而上学』 中村元、岩波書店 (1989)
『インド哲学思想 5 シャンカラの思想』 中村元、岩波書店 (1989)
シリーズ・インド哲学への招待
『インド人の考えたこと:インド哲学思想史講義』 宮元 啓一、春秋社 (2008)
『インド哲学の教室:哲学することの試み』 宮元 啓一、春秋社 (2008)
『インドの「一元論哲学」を読む:シャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇』 宮元 啓一、春秋社 (2008)
『インドの「二元論哲学」を読む:イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』』 宮元 啓一、春秋社 (2008)
『インドの「多元論哲学」を読む:プラシャスタパーダ『パダールタダルマ・サングラハ』』 宮元 啓一、春秋社 (2008)
No.5
『中村元選集』(春秋社)
第1巻 インド人の思惟方法 東洋人の思惟方法 I
第2巻 シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法 II
第3巻 日本人の思惟方法 東洋人の思惟方法 III
第4巻 チベット人・韓国人の思惟方法 東洋人の思惟方法 IV
第5巻 インド史 I、第6巻 インド史 II
第7巻 インド史 III
第8巻 ヴェーダの思想
第9巻 ウパニシャッドの思想
第10巻 思想の自由とジャイナ教
第11巻 ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I
第12巻 ゴータマ・ブッダ II 原始仏教 II
第13巻 仏弟子の生涯 原始仏教 III
第14巻 原始仏教の成立 原始仏教 IV
第15巻 原始仏教の思想 I 原始仏教 V
第16巻 原始仏教の思想 II 原始仏教 VI
第17巻 原始仏教の生活倫理 原始仏教 VII
第18巻 原始仏教の社会思想 原始仏教 VIII
第19巻 インドと西洋の思想交流
第20巻 原始仏教から大乗仏教へ 大乗仏教 I
第21巻 大乗仏教の思想 大乗仏教 II
第22巻 空の論理 大乗仏教 III
第23巻 仏教美術に生きる理想 大乗仏教 IV
第24巻 ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学 I
第25巻 ニヤーヤとヴァイシェーシカの思想 インド六派哲学 II
第26巻 ミーマーンサーと文法学の思想 インド六派哲学 III
第27巻 ヴェーダーンタ思想の展開 インド六派哲学 IV
第28巻 インドの哲学体系 I 全哲学綱要訳註 I
第29巻 インドの哲学体系 II 全哲学綱要訳註 II
第30巻 ヒンドゥー教と叙事詩
第31巻 近代インドの思想
第32巻 現代インドの思想
No.6
以上テンプレ
No.7
インド哲学相関年譜
http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/08/41/a0024841_14473020.jpg

唯名論と実在論の系譜
☆=語は常住、『顕現論者』
◯=語は人為的、『生起論者』
               <ヴェーダの宗教>
               最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
            ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8               |
     沙門たちの宗教     |____________________________☆文法学派          
前6 <ジャイナ教 <◯仏教>  |                             |
      など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教>                       |
前4         |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
           |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2       『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
   <大乗仏教> の問い』   |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元   |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
       |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 ナーガールジ  |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
   ュナ=龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    | 
       |   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
No.8
4 <ヴァスバンドゥ=世親>  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    |   |___ヨーガ学派
       |   |(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
    ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   |(4)スートラ』
 6  陳那(6)  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   |   |  (4)
       |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |    バルト |   ヴィヤーサ 
     ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ |   |  (5)
 8   ールティ  |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |   |  
      (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |   |
       |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |   |   |
       |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |   |   |
       |   |     |  |   (8)  |          |      |   |   |
       |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |   |   |
       |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |   |   | 
       |   |     |  |        |          |      |   |   |
       |   |     |<一元論>     <___多____元____論____>   <二元論> 
       <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   <唯名論or実在論?>
No.9
インド六派哲学の名称と意味
・ヴェーダーンタ(ヴェーダ聖典+アンタ(終わり、極意))学派 - 宇宙原理との一体化を説く
・ヴァイシェーシカ(区別する)学派 - 自然哲学
・ミーマーンサー(考究)学派 - 祭祀の解釈
・ニヤーヤ(理論)学派 - 論理学
・サーンキヤ(数える 量る)学派 - 精神原理・非精神原理の二元論
・ヨーガ学派 - 身心の訓練で解脱を目指す
No.10
>>4

解説書で良かったのは『岩波講座東洋思想 第5-7巻 インド思想 1-3』。
>>9
のような学派の名称の説明から始まっていて体系的に理解しやすい。
No.11
『中村元選集』は読めるだけ読む
No.12
インド哲学をやらずに、仏教の中だけで「無」だの「空」だの言っていても分かるようにはならない
No.13
インドなしで現代思想を理解できるだろうか
ニーチェ、マルクス - ドゥルーズ、デリダ - メイヤスーなど
No.14
age
No.15
インド=ヨーロッパ祖語の発見
1786年、イギリス東インド会社に雇われたウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)が、
サンスクリットが古典ギリシャ語やラテン語と共通の起源を有する可能性があることを指摘。
時代的にも、構造主義、現代思想、ポストモダンなどが出てくるのはその後。
・マルクス(1818-1883)
・ニーチェ(1844-1900)
・ソシュール(1857-1913)
No.16
1880年、ソシュールの学位論文「サンスクリットにおける絶対属格の用法について」
No.17
ダイバダッタをしらないようだな
No.18
インドの根源性に
西洋は追いついていない
No.19
https://www.nytimes.com/2014/09/28/opinion/sunday/how-to-stop-time.html

>According to legend, when the Roman centurion decided to convert to
Christianity, the Devil appeared in the form of a crow and circled
above him crying “cras, cras” — Latin for “tomorrow, tomorrow.”
Expeditus stomped on the bird and shouted victoriously, “Today!”
For doing so, Expeditus achieved salvation, and is worshiped as
the patron saint of procrastinators.<
カラスは、ラテン語で“cras, cras”と鳴いたそうですよw
No.20
日本語は開音節が基本だから、"cras"を開音節に移すとすれば、
"cra"は、後ろの母音の"a"に引きずられて、"cara"になり、
"s"は、日本語の語尾として弱い母音の「う」が加わって、
そのまま「カラス」になりそうな気がするがw
No.21
擬音語は除外するのが原則なんだけど、
何を擬音語とするのかを真面目に考えだすと収拾がつかなくなる。
No.22
言葉はオノマトペから生まれたのに擬音排除とか
合理化してゆく結果は流行に左右された力のない忘れられてゆく言葉になるだけ。
No.23
>>13

ポストモダン界隈で繰り返し使われてきた言葉「戯れ」「遊動」
デリダの「戯れ jeu」 → ハイデガーの「遊動 Spiel」 → ニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子ども pais paizon」 → サンスクリット語の「līlā(divine play 神の戯れ)」
No.24
“『リグ・ヴェーダ』などと称せられる一切の知識の宝庫は、まさに努力することなく戯れ(līlā)の原理によって、人の吐く息のように、大いなる存在から生じる――「この『リグ・ヴェーダ』は、この大いなる存在から吐き出された」などと聖典に説かれている。”
― シャンカラ 『ブラフマ・スートラ:シャンカラの註釈 上』 湯田豊 訳、大東出版社 (2006) p119
No.25
「līlā(divine play 神の戯れ)」には、古代インドの神の目的論的ではない非意志的な生成力というニュアンスがあり、西洋哲学の特異点にしてその後の現代思想に大きな影響を与えたニーチェの哲学に通じるところがある。
ニーチェの友人パウル・ドイセンは、当時のヴェーダーンタ哲学やシャンカラ研究の第一人者。
No.26
“〈略〉ブラフマンと合一することが解脱であり、ブラフマンは永遠に清浄だからである。」これらの言葉は、
シャンカラの注釈によるものであり、わたしはこの言葉を、ヨーロッパにおいてインド哲学の最初の精通者となった友人のパウル・ドイセンから引用している。
〈略〉[世界の]最大宗教のうちでもっとも深いこの宗教の信者たちは語る。「深き眠りのうちで、魂はこの肉体から抜け出し、いと高き光のもとを訪れ、かくしてみずからの姿をまとう。魂はそこで彷徨するいと高き精神と一つになり、女と、車と、友とともに、戯れ、遊び、楽しむ。
荷物を引く獣が貨車に繋がれているように、プラーナ(生の息)はこの肉体に繋がれているが、魂はもはやこの肉体という付属物に思いをいたすこともない」。”(3:17)
― ニーチェ 『道徳の系譜学』 中山元 訳、光文社 (2009) p266-268
No.27
インド哲学をやってみると、ポスト構造主義やポストモダンの難題に次々と答えが持てるようになる
No.28
総合の方向に向かっていると
分析のひとつひとつが
全体から見えるようになるよな
No.29
『アヴェスター』が原典完訳されたから、インド哲学界隈も頑張ってほしい
No.30
ヴェーダの翻訳が辻直四郎の抄訳しかないって印哲やってる奴らはサボりすぎだろ
No.31
『リグ・ヴェーダ』の平易な現代語訳は、日本哲学界最重要の課題じゃないだろうか
No.32
シュードラがヴェーダを聴いたなら溶けた鉛を耳に注がなければならない
シュードラ以下のムレーッチャが翻訳なんぞしたら八つ裂きもんだろう
No.33
そういう時のための佐々井秀嶺
No.34
仏教の人じゃん
No.35
バーガヴァタ・プラーナを読むべし
No.36
シャンカラの不二一元論の話題は出ないのかな?
ウパデーシャ・サーハスリーとか。
No.37
シャンカラは理論家としては大したことないな
そんなこと言ったらなんでもありじゃん、というのこと言ってる
No.38
カント以降、メイヤスーまでの人が取り組んできた物自体と表象、手前と奥のように乖離した二元論の問題を、
シャンカラは上下に二分割することで克服した。
形而上的で高次の「無属性ブラフマン」と、形而下的で低次の「有属性ブラフマン」。
何という力技。
No.39
>>23

やっぱり、ポストモダンはインドっぽい
> インド中世より、ヴィシュヌ派ヒンドゥー教徒から最高聖典とし
> て崇められてきた、プラーナ文献(神話)の最高峰「バーガヴァタ・プラーナ」
> を、インドにおけるGita Press社の許可を得て完全に翻訳。
>  古代の聖仙ヴィヤーサの作とされ、内容としては、神へのバクティ(信愛)を
> 説き、シュリー・ハリとしての、最高神クリシュナの降誕と遊戯(リーラ)の世
> 界が描かれる。バガヴァット・ギーターの解説書とも見なされてきた。
No.40
>>38

メイヤスーをやって、初めてシャンカラの不二一元論の意味が分かった
No.41
“文は全体であり、世界であり、ブラフマン(宇宙の根本原理)である”
― バルトリハリ 『古典インドの言語哲学 2』 赤松明彦 訳注、平凡社 (1998) p223
No.42
アートマンブラフマン辺りの根源的な世界観は思索としてどれだけ浸っても飽きないな
No.43
デカルトの我思う故に我ありって古代インド哲学のウパニシャッドの中のアートマンの定義に極めて類似しているように見えるのですがあの時代にインドからの影響ってあったんですか?
近代には結構当たり前のようにインドや仏教の影響を受ける哲学者が現れますが
No.44
哲学用語の「随想」や「瞑想」はmeditationだし、
デカルトが注目した松果体は、ヨーガのチャクラと結び付けられることもある。
ただ、思想的には、デカルトや古代インドのアートマン的な「有」を強く否定したのが仏教の「無」だろうね。
仏教は、古代インド思想の非支流派でカウンターカルチャーの部類。
No.45
×非支流派
〇非主流派
No.46
デカルト(400年前)とブッダ(2400年前)
“我思う、ゆえに我あり”
― デカルト 『方法序説』
“〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。”
― ブッダ 『スッタニパータ』 916偈 (中村元訳 『ブッダのことば』 岩波文庫)
No.47
西洋人がはっきりと、インド思想からの影響ないし、ルーツとしての共通点を意識するようになったのはインド=ヨーロッパ祖語の発見
>>15
くらいからではないかな
No.48
西洋における仏教の受容
ロジェ=ポル・ドロワ 『虚無の信仰 ― 西洋はなぜ仏教を怖れたか』 トランスビュー (2002)
西洋で仏教が知られる様になったのは、この200年ぐらい。
ブッディズム(仏教)に該当する語が用いられた最初の例は、
1817年フランスのミシェル=ジャン=フランソワ・オズレーによる
『東アジアの宗教の開祖ビュッドゥあるいはブッドゥにかんする研究』で、
「ブッディスム(bouddisme)」と綴られた。
その後も仏教は、ニヒリズムや虚無の信仰であると誤解され、様々な論争を引き起こした。
    1820年頃 西洋でブッディズム(仏教)が知られるようになる
    ↓
    ↓ 1819年 ショーペンハウアーが仏教に言及
    ↓ 1827年 ヘーゲルが仏教に言及
    ↓ 1848年 マルクス「共産主義という妖怪がヨーロッパを歩き回る」共産党宣言
    ↓
    1860年頃 仏、英、独で虚無の信仰を巡る論争がピークを迎える
    ↓
    ↓ 1866年 マラルメ「仏教を知ることなしに、無(ネアン)に至った」カザリス宛書簡
    ↓ 1871年 ニーチェ「悲劇がわれわれを仏教から救い出す」断片
    ↓ 1880年、ソシュール「サンスクリットにおける絶対属格の用法について」学位論文
    ↓
    1890年頃 仏教が虚無の信仰でないことが理解され始める
    ↓ 
    ↓ 1895年 フロイト『ヒステリーの研究』
この時期は、
マルクス、ニーチェ、フロイトなど現代思想の胎動期とも重なる。
No.49
>>48
の本は、フランスのベストセラーで、ちくま新書『世界哲学史1-8』(2020)でも取り上げられていたから今は一般的
No.50
“仏教と西洋の出会いは、二十世紀のもっとも有意義な出来事である”(アーノルド・トインビーのよく引用される言葉)
― フレデリック・ルノワール 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎、富樫瓔子 訳、トランスビュー (2010)