哲学をやる以上は、一度はギリシャ語をやった方がいい 仏独語などは英語読みでなんとか読めるが、ギリシャ語は学習しないと音読できない 哲学書で、重要な言葉はギリシャ語で書かれていることも多いので、
それが読めないと、かなりを読み落とすことになる >仏独語などは英語読みでなんとか読めるが
いや無理だろ… 宇宙はなぜ出来たかというと
最初の三文字がある
タ・パ・ス
ここから全てが始まった
タパスすなわち苦行だ
ギリシャも似たようなものだろう
神が最初に仰言った
ギ・リ・シャ
ギリシャや〜〜ん ギリシャ語ぐらいで止まっていると、アジアの文献まで行けないからね >>2
10進、16進文字コードin HTMLユニコード
http://code.cside.com/3rdpage/jp/unicode/converter.html
ギリシャ語のテキスト(特に古典ギリシャ語に多い装飾文字)は、
ここでエンコードすると、chromeでもjaneでも貼れるようになる。 メイヤスーは、数学的形式主義における空記号のあり方に注目している。
“私が関心を抱いていてなおかつ議論するつもりのタイプ、すなわち純粋形式の下にあるタイプ、つまりは意味の空虚な記号のタイプを識別するために、新語を提起しておく。
空虚な記号のこうしたタイプを ―「空虚」を意味するギリシャ語の形容詞kenosに基づいて― ケノタイプと呼ぼう。”
― カンタン・メイヤスー、立花史 訳「反復・重復・再演 意味を欠いた記号の思弁的分析」『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019 ポスト・ヒューマニティーズ』 バディウとアリストテレスの「空の空(ケノウ...ケノン)」
メイヤスーの師アラン・バディウは、アリストテレスが『自然学』第4巻で論じている空論について触れている。
“空はそれ自身の自然な場 ―例えば上方として仮定される場― へとみずからを運ぶわけである。そうすると、空の重複があることに、すなわち、自分の方へ向かう自分自身の可動性を引き起こす、自分自身に対する空の超過が、「空の空」(kenou...kenon、void of a void)とアリストテレスの呼ぶものが、あることになるだろう。”
― アラン・バディウ 『存在と出来事』 藤本一勇 訳、藤原書店 (2019) p107
アリストテレスの該当箇所は以下。
“しかしならが、いかにして空虚の移動とか空虚の場所とかいうものがありうるのだろうか。その場合、空虚がそこへと移動していく先としての、空虚の空虚があることになるからである。”(第4巻 第9章、217a)
― アリストテレス 「自然学」 『アリストテレス全集 第4巻』 内山勝利、神崎繁、中畑正志 編、岩波書店 (2017) p213
"καίτοι πῶς οἷόν τε φορὰν εἶναι κενοῦ ἢ τόπον κενοῦ; κενοῦ γὰρ γίγνεται κενόν, εἰς ὃ φέρεται." (4:9, 217a4-5)
― Aristotle, The physics, Books 1-4, Wicksteed and Cornford, Loeb classical library, Harvard University Press (1957) p364-365 キリストの「ケノーシス kenosis(自己無化、自己卑下)」
“キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。”
― 新約 「フィリピの信徒への手紙」 2:6-7 (新共同訳)
"ὃς ἐν μορφῇ θεοῦ ὑπάρχων οὐχ ἁρπαγμὸν ἡγήσατο τὸ εἶναι ἴσα θεῷ,
ἀλλ’ ἑαυτὸν ἐκένωσεν μορφὴν δούλου λαβών,
ἐν ὁμοιώματι ἀνθρώπων γενόμενος· καὶ σχήματι εὑρεθεὶς ὡς ἄνθρωπος" (Προς Φιλιππησίους 2:6-7)
― Novum Testamentum Graece: Nestle-Aland 28, Stuttgart, Deutsche Bibelgesellschaft
ἐκένωσεν(ekenōsen)の英訳はemptiedで、「空」とも訳される。 >>17
ケノーシスについて論じているのは、
・『世界のなかの日本の哲学』 藤田正勝、ブレット・デービス、昭和堂 (2005)
├「自己を空ずる神と動的な空」 阿部正雄
└「神はどこまで自己を空ずるか −阿部正雄のケノーシス論をめぐる議論」 ブレット・デービス
・デリダ 『名を救う:否定神学をめぐる複数の声』 ポイエーシス叢書 (2005)
・レヴィナス 『超越と知解可能性』 彩流社 (1996)
・ドゥルーズ 『ニーチェと哲学』 国文社 (1984)(同等の問題)
など >哲学をやる以上は、一度はギリシャ語をやった方がいい
前にも書いたけど、では、古典ギリシャ語を習得するのに圧倒的に
有利な立場にある現代ギリシャ語を母語としている人のなかで
哲学において注目すべき著作を残している人がほとんど
見受けられないのはなぜなんでしょうね?
現代ギリシャ語で書かれたものは、本国以外ではあまり読者が
いないからというのは理由にならないでしょう。ドイツ語や
英語を母語として育ったバイリンガルは、いくらでもいるのだから。 古典ギリシャ語も、ラテン語もその余裕があるなら、少しは勉強してみたいという
気持ちはあるけど、まあ無理だろうな。長年、それなりに大量に文献を読み、
ラジオやドラマの番組に親しんできた経験がある英語でも、身に付いている
能力は極めて限定的だ。哲学をするには、英語、ドイツ語、フランス語、
ラテン語、古典ギリシャ語あたりを学ぶことが必須であると言われることも
多いが、言語運用能力を身に付けることは、単純な経験と学習の積み重ねに
よる累積ではない。そのことが分からないとすれば、複数の言語をそれなり
に運用しているとすら言えない。 運用する言語を増やしていき、そのそれぞれの言語の運用能力を継続的に
維持しようとするなら、その間でうまく均衡をとりながら、それぞれの
言語を日常的に用いる必要が生じる。これは、例えば、日常的に方言を
話していた人が標準語の地域で暮らすようになって標準語を使うように
なって、出身地の仲間との関係が希薄になり、しばらくしてから地元に
戻ったとき、方言がすぐにはうまく使えなくなるのと同じだ。 ラテン語ってスペイン語とフランス語のちゃんぽんみたいなもので、
どっちかができる人は身につけられるようなものと思っていたけど、
めちゃ難しいのか!? スペイン語もフランス語もラテン語からは文法的に大きく変化しているし、
「ラテン語」自体が歴史的に多様なようだから、そう簡単ではないだろうね。
例えば、スペイン語とポルトガル語は互いにとても近い。最近メキシコの
連続TVドラマのポルトガル語の吹き替え版をよく観ているんだけど、
私はポルトガル語は勉強したことがないので、文法もよく知らない。
それでも、スペイン語は多少独習したことがあり、吹き替えのポルトガル語
のセリフを正確に転記した場合にどういう言葉遣いになっているのか
明確には分からなくても、類推からほとんど無理なくセリフの趣旨と
場面の進行、全体的なシナリオは理解でき、ドラマを楽しむのには
何の問題もない。では、それで私がポルトガル語を簡単に習得できるのか
と言えば、そうはいかない。具体的には、例えば、私は、スペイン語を
自習するのに英語を媒介の言語としていたが、スペイン語では"v"と"b"
が区別されないので、英語で身に付けた反射的な区別を無視する必要が
ある。ところが、ポルトガル語は"v"と"b"の発音を区別する。スペイン語
から類推してポルトガル語を理解していると、英語では反射的に
区別できている発音の違いが、スペイン語の発音で認識されるように
錯覚というより、認識のエコノミーが生じる。そうして複数言語の
運用の間でとてつもない数の認識の相互調整が必要とされることになる
わけだ。実際、スペイン語を学習して上達した人は、発音の違いから
出身地の違いに反射的に気づくようになることが普通で、日本語の
話者が、方言差に気づくようなものである。スペイン語に上達して
運用能力を磨こうとするなら、スペイン語からポルトガル語を学ぼう
とすることは、そこにさらに複雑な言語運用上の区別を導入することに
なるわけで、混乱せずに反射的にそれぞれの言語を運用できるように
しようとするなら、日常的に両方の言語をバランスよく使っている
必要があるだろう。そんなことは私には到底無理だ。 ラテン語にも難易度があって縦横無尽に使われていた古典ラテン語と使い方が固定されてる中世近世ラテン語とは難しさが違う ラテン語はローマ字読みだし英語っぽさもあるから、初見でも音読できて学習しやすい。
また、ラテン語やギリシャ語は語形変化が複雑だが、それを理解すれば、誰がいつやったのか時制が把握できる。 ヘブライ語やアラビア語などのセム系言語は、発音記号(漢字のルビに相当)がないと発音しにくく、学習が難しい。
井筒に言わせても「慣れるまでは言葉がどちらを向いているのか分かりづらい」とのこと。 よって学習難易度は、
ラテン語:ギリシャ語:ヘブライ語=1:3:5 一度、セム系もやってみると、ギリシャ語などはまだ学習しやすいと思える。 【伊藤貫の真剣な雑談】第9回「プラトン哲学と国家の独立」[桜R4/10/8]
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2022/10/08に公開済み
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新日本文化チャンネル桜
チャンネル登録者数 10.4万人 語学に関する問い合わせでしょうが、無とか,そう言われるケイオスについての研究など考えるべきでしょう。
ビデオなどのTVゲームを馬鹿にするような現代の宗教学に侵された哲学所論の学派などきえてしまうといいでしょうね。」 そもそも、イエスと語られるメシアなどの神である至高の神Y.H.W.H.の問題について語りますが
それを解決していないカオス派の学問など哲学を極めたとかいう諸々の学徒ごときに把握できるものでしょうか?
考える葦の正体について述べたり、
それ以前か、後のアリストテレスの精霊による法の律法はどうしたのですか? それから至高神アラーや、すべてをしるものとして有名な光のかみ,ことアフラマズダさんの捜索はどうなっているのですか?
もちろん、そこらへんに登場しているのですがね。
禅の修行を途中でやめた、俗に言う「イエス様」程度にかたれるものでしょうか?
まずは、メフィストなどのクリシュナさんによる救済から見習うべきでしょうな。 さて、ギリシャの神の見倣しですが、ソクラテスがさそり座であり、この私がさそり座の王として
哲学を完了させるのを邪魔をする君は誰でしょうね。
かれ程度が私に対して逆らえるものだとでも?
私のゲアードを盗んでいったパイトロ公爵一同よ。
哲学という学が焉えるのがいやだというのならば
いい加減に私にストークなどの被害を及ぼすのはやめなさい。 そもそも、パリスの審問者としてアフロディーテなる女神の自由奔放さについて語るが、
ヘラ女神の臆病さについて述べられるものはいますか? いい加減、さそり座の主であるガイアという女を開放しなさい。しかし、その前にアテネやその国家警察。及び
ブリュンヒルデを倣る大王のアンティパスであるハデスに対する処置はどうしましたか?
中国の公や各所属の王侯は貴族,婦人がたなどは黙っていはいないでしょうよ。
傲慢なるオリオンの王子、ラスプーチン公よ。
さっさと悔い改め、新たなる国の公を定めなさい。
親王あそびなんかしているんじゃないよ、文仁さん。
オリオン族に代わって、あんたが国を率いればよいのに。
メシアであるヘリオスの妹セレネの代理として。
さっさと神々女の代表をつとめなさい。
代筆、あまてらす 次に哲学の目的ですが、アリストテレスを無視しているようではメサイア中心の問題は通過できませんし、
それどころか、所論の議論すら成り立ちません。
彼のもっている二枚の札をどうやって役立てるか再度検討してくださいね。
札が2つ。だから学問や哲学の祖。といわれていたのではなく、精霊や法の両立にたいしての問い掛け。
それを無視しないようにしてほしいな。
ソクラテスはそれを完成させようとしたが、結局。あの人は毒でしんだならずものだったのですよ。
いい加減にしてくださいね。世界の愚者どもが。
ディオニュソスやハデスが共謀して諸国のスパイとして活動していますが、あれらは至高の王子として智らしめられているゼウスという
人物にとって邪魔です。
さっさと訴えを起こすべきでしょう。 さて、ルドルフ先生の哲学をはじめましょう。
ゲームの操作による神智学という学の開放ですが、現代メシアの権化と化したラスプーチン総督がそれを否定しているようです。
各座位に属する天使などの聖霊とかいわれる人物などの定理や公理性から外れた悪魔ともいわれる人物です。
彼は、 極楽という朱雀の文化に追放されていたようですが、リラという星の圏にひそみ、リュートなどの神器ともいえる
諸国の財宝を盗み、ただの破戒者として活躍しているそうです。
ここで反論があるでしょうが、そういったものこそ。ただの所謂、「専門バカ」として排除するべきでしょう。
そして、これまでの哲学は文化系のうお座時代の学派として捉え、理系の新たなる哲学ゲームというべき、それか、
理系の学問としての、水瓶座時代の哲学を要求しますがね。
それに至っては、独裁者や、かく芸能を否定してはならないでしょう。
そして画一的な、つまり、クラシックな文化に対する切り札とも言える人物の、神やその他、女性陣の活躍も好まれるでしょう。 そういえば、自伝をのこさなかったオッペンハイマー公を見捨てるのですかね。
となると、ヨシュアを名乗る例の聖人諸君も消えるべきでしょう。
なんの肩書もないのですから。 さて、アフロディテやパリスの聖書に関する議論ですが、
魔術などの錬金術派の一派は彼女らとともに消えてしまいそうです。
ですから、新たなる専門性の分野としての樹立の必要性についてとなえるべきです。
つきましては、基礎学問の復勉というものを推奨しますが?
かたちのない骸としての知恵など所詮、公害にしかなりませんよ? さて、諸国の賢者や、賢王とよばれる大賢者の方々に述べいたしますが、
さっさと占星学への異端視をやめるべきです。
つまり、言葉あそびすら捨ててしまうような、温故知新を唱える”老人タイプ”のスポーツ系の人類史上主義者には、
アポルオンという罰を咥えるといいでしょう。
そして、Beethovenとかいう人物の曲想をもう一度みなおして
死海文書や黙示の続行と、その危険性について討議しましょうか。
アラーへの自由の解放です。 次はイスラム教や旧ユダヤへのと問いかけですが、
何事もモデルというものがあり、それらはあまたの神々によって受言されるものなのですから、
つまり、いきなり馬鹿にするのは間違いであり、そういうのを傲慢というのでかね。
特に、我々
Scorpiusの者に対して不敬を働くクソガキともいえる邪神や堕天使どもの阿呆たらしいこと。
レイアーさん、いい加減にしてください。クロノスやサタンともどもテミス連合に訴えますよ?