ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 22

レス数: 204

概要: 点だと安定的な振動ができないんじゃない
No.101
点だと安定的な振動ができないんじゃない
No.102
>>101

なにもないんだから、安定もなにも振動なんかするわけないだろ?
No.103
超弦理論の「ひも」って一次元なんだって。でもさ、幅がない「線分」もまた、
位置しかない「点」と同じく、物理的というよりは理念的な存在じゃないかい?
で、その「ひも」が最小単位だというけど、なんでそう決めつけられるかねえ。
やっぱりそれもさらに小さい何かから出来て立ってことになる予感がする。
フラクタル。ライプニッツ。
No.104
ミクロスケールの物理は人間の五感にフィットしない
大きい力、小さい力、点、線etc…
これらを排斥しているのが人間の五感
No.105
当然質量も体積も五感に依存している
No.106
>>99

哲学的には、原子論をヒュームの知覚の束でまとめたという話。
No.107
>>103

それが、古い唯物論の限界を超えたところのもので、量子力学からメイヤスーの思弁的唯物論の世界。
リーマン幾何学が相対性理論に足場を与えたみたいな。
No.108
>>104

ドゥルーズ以降のポストヒューマンの議論は五感を超えた世界を問題にしている。
No.109
>>107

量子力学なんて、哲学になんの関係もないからやめとけw
No.110
>>108

ギリシア哲学でも東洋思想でも、”五感を超えた世界を問題にしている”んだが?w
No.111
大体トレンド追いかけてる奴は馬鹿
No.112
五感に依存しないならば、なるべく簡素に記述されるのが好ましい
提示されたモデルに対し論理的整合性を緻密に追求していく作業が要求される
No.113
そもそも五感に依存する哲学って、現象学みたいな哲学のことかな?
それとも唯物論を貶したいだけ?
No.114
最近日本やばすぎだと思う
こんだけ地震があるのに
原発たくさんつくるってだけでも
異常ではあるけど
ドゥルーズが死んだのは
エヴァとかオウムの頃
日本は天皇の王国みたいだから
民主主義のフランスを嫌いそう
何かしたんじゃないのか
とかいろいろ考えちゃうよ
No.115
エヴァの頃高校生だったけど
なにか記憶がバラバラ
はっきり思い出せない
なにかよくわかんなさそうなこと
やってた感じもある
No.116
>>103

現代物理学の世界で「物質が理念的なものになっていっている」のと同時に、
ドゥルーズの場合は「理念が物質的にもなっていく」。
これがドゥルーズや千葉がやっていること。
No.117
シニフィアンの記号学
・形式 ○
・実質 ○
・素材 ×
非シニフィアン的記号論
・形式 ○
・実質 ○
・素材 ○
https://i.imgur.com/rjmTOAC.jpg

― ドゥルーズ=ガタリ 『政治と精神分析』 法政大学出版局 (1994) p95
No.118
“何をするかわからない他者たちと共存するために、それらの解釈の諦めを理論的に取り扱う、これが必要だと思います。
 無解釈性を理論に含めている人文学、それを僕は、フランソワ・ラリュエルを背景として「非人文学」と呼んでいます。
 解釈を努力する部分と、解釈を諦める部分が、両方ある。
 諦めるといっても、すぐに暴力的なぶつかりあいになるのではなく、ただたんに隣にいることです。
 つまり、ナマコとヤドカリのイメージです。空間的並置とはそういうことだと思います。
 複数の秘密が隣り合って並んでいる状態です。少なくとも僕は、そういう状態について考えたいのです。
 それも、意味を伝える言語だけではなく、非シニフィアン的でフォルム的な言語を駆使して考えたいのです。”
― 千葉雅也 「ナマコとヤドカリ」 『現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話』 篠原雅武 編、人文書院 (2017)
No.119
>>116

理念もまた、脳と神経系の化学反応と電気信号の複合体、と言ってしまえばそれまでだけど、それでなにかが分かるわけでもない。
No.120
>>118

なんと無意味なw
No.121
20世紀最大の詩人
No.122
>>117

なんの思いつきなんだろう?
No.123
20世紀の哲学が言語論的転回のピークを迎える中、
東西冷戦(自由主義/社会主義)や文明の衝突(キリスト教/イスラム)など、
イデオロギーを巡る対立が世界を総動員して行われた。
言葉の解釈は対立を生み続ける。
実在論的転回や非シニフィアン的記号論は、
そのことの反省と、問題を解消をする具体的な方法だということ。
No.125
千葉雅也『オーバーヒート』発売 @masayachiba ・ 2022/1/26 20:05:59
村上春樹は学生運動の時代に幻滅し、どんなイズムも信用するなと学んだと言っている。今のSNSにおける政治的党派的時代も学生運動の時代に対応すると僕は思っていて、僕もそこから幻滅を学んでいる。
No.126
無宗教→世俗主義
ノンポリ→資本主義
No.127
107 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2022/02/13(日) 01:49:50.53 0
今やっているのは、朝鮮哲学をやる下準備。
ドゥルーズ、デリダ、メイヤスーなどをやった上で、その先の朝鮮哲学がイメージできるかどうか。
108 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2022/02/15(火) 01:13:41.14 0
メイヤスーからガブリエルまでの新実在論もやっておいて欲しいね。
朝鮮哲学スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1615604444/
No.128
最初ドゥルーズを知ったとき、わからないながらも、これは考えていることに近いという予感があったが、偉い人なのだから相当難しいことを言ってるはずで、そう易々とはわからないだろうと「構えて」いた。
小さい頃から、いろんなジャンルを横断して遊んでいて、家庭ではそういう感覚が奨励されていた。ひとつのことを極める求道的な姿勢より、マルチに生きることの方がうちの家族においては上位なのだった。それに、「強い理想を持つべきだ」という教育がなかった。全然なかった。それは、ひじょうに世俗的な家庭で育ったということだろう。
だから、ドゥルーズ的感覚は日常的なものだったと言え、そういう哲学が革命的なものだったのだと気づくのに時間がかかってしまった。
20年ドゥルーズを読んできたが、もちろん哲学史的に細かいことはたくさんあるにせよ、大きな方向としては、つまり僕が感じてきたことじゃないか、というのが結論である。と今なら思えるが、振り返ると、そういう素直な読みが、いろんな機会に「阻害」されてきたと思うのだ。
デリダよりフーコーより、とくにドゥルーズに関して、「これは簡単じゃないぞ」というプレッシャーが変にあったと思う。
ところで、親が普段から正義とか批判とかを口にする家庭で育つということが僕には想像できない。うちの家庭はいつでも美的判断の連続だった。美的にアリかナシか。その根拠が語られる。色や形、響き、味などが「どのようか」について、言葉が言葉を呼ぶ。家族の会話が全部批評。
世界は生成の途中であり、絶対的な同一性はない、ということに本気で感動しているドゥルーズ読みがもしかするとマジョリティで、だとすると僕はそこからかなりズレていることになる。絶対的な同一性や理念やイデアなど、幼稚園の時から信じたことがない。逆に言うと、世の中の多くの人は同一性、定義、形相によってものを捉えていて、そこからドゥルーズ的流動的な世界像へと向かおうとすると、無理がかかって、うおおおおお!!!とかなるのかもしれない。そして「かろうじて」理解する、と。
No.129
これは言い過ぎかもしれないが、うちの会話には公共的意識というものが一切なかった。僕の記憶では、「一切」なかったと思う。そのことは、僕のあり方にとって、やはりどうしても逃れることのできないデフォルトなんだと思う。そういう条件で育ったので、その後、大学に入って倫理とか正義といった概念で、いわば「一神教的モメント」を経験して以後、しばらくそちらへ持っていかれたが(高橋哲哉と中島隆博の影響が大きい)、結果としてたどり着いたのは、中途半端な公共意識がもたらす害悪を認識し、「脱公共的公共」のような思想に向かう、ということなのだろう。
己の世俗性をよく見つめること、というのは僕にとって重要なテーマである。
「自己世俗性分析」をせずに、そこから目を背けるようにして何らかの理念を語る人が多すぎるのではないか。理念的なタテマエに言葉を費やせば、すでに生きてしまった世俗的な身体をリセットできるかのような欺瞞。それでは真に理念を生きているとは言えまい。だが、理念を語りたいならもっと世俗性を自己否定せよということではない。むしろ世俗性のただなかに深くダイブし、そこにある他者性をもっとよく見なければならないということである。
ドゥルーズはとんでもないことを言っているのであり、それは容易には到達できない境地で、もっともっと読解しなければ、というのは少なくとも僕にとっては違う。そう言うと不遜に聞こえるかもしれない。僕の場合、ドゥルーズからことさらに小難しいことを引き出そうとするとかえって変なことになる。素直に読めばいいのである。
研究が進むにつれてわかったのは、子供の頃からあった自分の判断や世界観が表現するに足るものだ、ということ。ドゥルーズは新たなことを教えてくれるというより、それでいいんだと言ってくれる哲学者なのだと、徐々にわかってきた。最初からそうわかればよかったのに、いろいろ邪魔が入った。横断的、リゾーム的、といったことと80年代文化のつながりがあり、80年代を苦々しく思う(思いたい)人たちからの歪んだ茶々入れがあった。
他方、ドゥルーズをやたらに持ち上げる向きにおいては、70年代のまだ重苦しい時代に大学の哲学科という権威の塊みたいなところで過ごした人にとって、ドゥルーズが途方もなく解放的だったのだろう。だが僕は80年代に広告屋の息子として育ち、そのような解放は最初からデフォルトだった。
No.130
>>129

自分語りで世界を語りたがるところは、ドゥルーズと似てなくもない。
No.131
80年代の広告やメディアの軽佻浮薄な文化を今苦々しく振り返るインテリは多いわけだが、僕はまさにその渦中で育ったので、それへの批判もわかるが、それによって心身を形成されたという事実の方がはるかに大きい。80年代否定派と僕では価値観がまったく違う。僕は80年代的横断性をまさに「子供心」で受け止め、それを動力として生きてきた。実際そのときに子供だったのだから。
80年代にドゥルーズが持ち上げられた、逃走とかリゾームとか言われた、それは80年代だ、80年代ダメ、逃走とかリゾームとかダメ、ドゥルーズを読むなら80年代みたいに読んじゃダメ、というつながりなのだろう。結局、そういうことだったのだろう。
ドゥルーズを貶すのも祭り上げるのも僕にとっては違うのである。
僕のドゥルーズ読解は、そもそも心身があまりドゥルーズ的でないような人たちのヘンテコリンなドゥルーズに対する距離の取り方が周りにわさわさあるなかで、なんとかそれと付き合いながらひねり出す形になり、余計な負荷がかかっている。本来、自分にとってドゥルーズの考え方は自然だ。そこに戻る。
坂口恭平さんが『けものになること』で「おれはドゥルーズだ」と言ったのにはびっくりしたが──ドゥルーズ的であることと「ドゥルーズだ」というのは違うので、というのは「同一化」のように見えるわけで、それは違うよなーと正直思ったのだが——、これも彼にしばしば感じる同世代感覚のひとつかもしれない。
ドゥルーズの言っていることを容易にはわからないものとして捉え、それをわかろうとしない人も説得できるように書き直すような仕事というのはやる必要がないと思ってしまう。端的に言って。つまり同一性の論理の方に妥協してそっちの言葉で書き直すわけでしょう。しょうもねぇわ(栃木弁で)
ある対象の本質について本来はわかっていたのに、諸事情によってわかっていたということがわからなくなっていた、わからないようにさせられていた、ということがおそらくある。本当にこれまで、いろんな人に支えられてきたが、それと同時に、いろんな人に自分の直観を邪魔されてきたと思う、そのこともこの歳になって客観視できるようになった。
いつか、もう一度ドゥルーズの全体を捉える本を書くときが来るかもしれない。それはきっと、ひじょうにシンプルな本になるだろう。
No.132
>>131

いまは分からないけど、なんかすごそうだからいつかわかると思う、ってこと?
No.133
そうだお
No.135
>>134

他人の考えたものを
「俺ならもっとこうするのに」
「俺のものだったら良かったのに」
と悔しがるのは卑しい
No.136
残酷な天使のテーゼで
ドゥルーズを読んだシンジ君が
そのうち窓辺からやがて飛び立って
自死に至る。。
No.137
こいつは入門書ぐらいの格でまだ売れてない。死後大分たってないと。
資本主義と分裂病なんてひどい簡単な本あるけど。アンチオイディプスね。
No.138
分裂病を考察するのに三行ぐらいで足りるかあほ。
No.139
こういうのがいるから分裂病者が絶望するしかないんだ。
No.140
その分野は自信あるよ。
No.141
千のプラトーに回帰しろ。
No.142
精神分裂病統合失調症の専門の学者で行くわ。
No.143
東京専門学校早稲田大学ね専門があると強いと思うけど。
No.144
専門分野の一個として。まあアンチおいてぃぷすなんかの何千倍の考察できるよ。
No.145
四位一体波平自演シリーズ👴👴👴👴
護衛介護キャラ∶塩なめくじ
誰もまともな会話をしてくれない波平の孤独を補うイマジナリーフレンド💩
波平の自尊心が傷付けられるとよく護衛に現れる
攻撃キャラ∶自称無職名無し
波平の討論用のアバター、というよりただコテハンを外しただけの波平👴
無職であることをひた隠しにしている波平とは打って変わって、無職を肯定しており無職である己を弁護するキャラ
しかしながら中身は波平なので幼稚な語彙による知能の低さがモロバレである🥹
自演に人生を捧げた結果「なんのために生まれ」たのかという強迫観念からアンパンマン関係の語彙がよく表れる🍞
スレ流しキャラ:学術死廃
波平のキチゲ解放キャラ
無意味に見える言葉を喚き散らしてスレを流して話題を逸らそうとする🚽💩
マゾヒストキャラ:お陰様で
波平のメインアバター
日々己のガイジ具合を嘆いているが、その本音は自分の老化をADHDだと思いこんで否認している哀れな老人である🥺
下らないプライドを守るため仏教の話を垂れ流すことがあるが、本人は仏教を信じてるわけでもなんでもなくただ「悟ってるボク」という演出のための中身のない虚飾でしかないので無視してよい🥺
No.146
波平と学術は別の人間
No.148
サティサタン
No.149
20世紀最大の詩人
No.150
>>149

最大ってほどでもなさそうだけど。