ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 22

レス数: 204

概要: だからドゥルーズは詩人だって
No.51
だからドゥルーズは詩人だって
No.52
ドゥルーズは『記号と事件』で法律よりも判例が重要だと言っていた。
論理学よりもその使用例が重要だということか?
A.O#2:4
ベイトソンは、たがいに矛盾する二つの秩序のメッセージを同時に発信することをダブル・バインド
〔二重拘束〕と呼んでいる(例えば、父が息子に、さあ、私を批判してみろ、という。ところが父は、
あらゆるほんとうの批判、少なくともある種の批判は歓迎されないことを強力にほのめかす)。
ベイトソンは、ここに、とりわけ分裂症をひき起す状況を認めて、ラッセルの階梯理論の見地から、
この状況をひとつの「ナンセンス」として解釈している(20)。私たちにはむしろ、このダブル・
バインドつまり、二重の袋小路はありふれたものであって、とりわけオイディプス化的な日常状況で
あるように思われる。さらに、この状況を定式化することを覚悟の上でいえば、これはラッセルの
いう別の種類のナンセンスにかかわるのである。すなわち、二者択一あるいは排他的離接はひとつの
原理との関係で決定されるが、にもかかわらずこの原理そのものが二者択一の両項または二つの
下部集合を構成していて、この原理自身が二者択一の枠の中に入っている(これは、離接が包含的で
ある場合に起きるのとは、まったく異なる事態である)。まさにここに精神分析の第二の誤謬推理が
ある。要するに「ダブル・バインド」はオイディプスの総体そのものなのである。この意味で
オイディプスはひとつの連続状態として現前し、神経症的な同一化と、いわば規範の内面化という
二極の間をゆれ動いている。どちらにしても、オイディプスがいて、それは二重の袋小路である。
したがって、ここに分裂者が臨床実体として生みだされるとすれば、それがいわばこの二重の道を
逃れる唯一の手段だからである。この二重の道においては、規範性も神経症と同じく出口をもたず、
解決も問題も同じく道をふさがれている。ここでひとはみずからを器官なき身体の上に折りたたむ
しかないのだ。
(20) G. Bateson et collab.,〈Towards a Theory of Schizophrenia〉, Behavioral Science ,
1956, I
No.53
>>52

>「ダブル・バインド」はオイディプスの総体そのもの
これ、笑うところだよね?
No.54
ダブルバインドが統合失調症の病因とは言われなくなったようだし
正しさ半分与太半分って感じじゃないの
No.55
>>54

どこにも正しさが見当たらないんだが?
ドゥルーズの読書のしかたでフロイトを理解しようとしたのが、間違いなんだと思う。
解説本読んだだけで、『精神分析入門』すら読んでないんじゃないだろうか?
マルクス主義への言及も解説本頼みで、もちろん『資本論』は読んでいない。
No.56
ダブルバインドが非神経症圏の精神病を引き起こすなどと言うなら、今の医学基準ではたしかに誤謬だよ
それ以外は科学的に争いようがない思弁
No.57
ダブルバインドの反復により発症する分裂症の症例の分類:
言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)1
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型[解体型])2
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)3
ベイトソン『精神の生態学 』新思索社,287,299~308頁参照
浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)では、
1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている(浅田64,87~8頁)。
Joyce 妄想型 paranoid
https://i.imgur.com/2biUldM.gif
;Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic
https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif
;Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic
https://i.imgur.com/rwKgu01.gif
;La coquille et la clergyman カット・オフ
ただし、破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の
多くは統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。
母なるものを批判的に扱うこと自体も批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。
ちなみに上の症例の分類はこのスレッドのレスの分類にも使える。
自分は2か?
No.58
ドゥルーズA.O#2:4
《…ダブル・バインドを深く洞察した最初の分析の実例は、マルクスの『ユダヤ人問題について』の中に見い
だされるかもしれない。それは家族と〈国家〉の間の──家族的権威のオイディプスと社会的権威のオイ
ディプスとの間のダブル・バインドである。》

マルクス ユダヤ人問題によせて 結語部分より
《社会がユダヤ教の経験的な本質であるきたない商売とその諸前提を廃棄できるようになるやいなや、ユダヤ人の
存在は不可能になってしまう。…ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの社会の解放である。》
(世界の大思想シリーズより)
No.59
>>57

そもそも、ダブルバインドをオイディプスと結びつけてるのが間違いなの。
ダブルバインドというのは自分の中の価値観の相克であり、オイディプスというのは自分の中の愛憎の相克。
まるで違うものだよ。
だから、ドゥルーズはフロイトを読んでいないということがわかる。
No.60
誤謬は最初にダブルバインドを分裂病と結びつけたベイトソンでしょうよ
それを批判していて、かつ後世から見て正しい批判ならば
他は別としてその部分については及第点と言うべき
もっと意味不明な衒学的記述で埋め尽くされていると思っていたが
見れば見るほどそうでもない部分もあるじゃない
No.61
>>56

ドゥルーズの表現は科学ではなく、個人的な思弁(思い)に過ぎないという意味なら賛同する。
>>60

それとドゥルーズが、フロイトをまったく理解できていないこととは別問題。
問題は、ドゥルーズが実際の著作に当たらずに、通俗解説本をもとに対象を批判していること。
いくら「哲学史」が出発点だからといっても、対象を批判するためには実際の著作に当たるのは不可欠だろう。
No.62
アンチ・オイディプスの単行本中古で買ったけど、表紙が古いヤツだった!
千のプラトーとそろえたかったのに無念
No.63
ドゥルーズは指摘していないがニーチェに以下の記述がある

ニーチェ ツァラトゥストラ 1:24:3
《 きみたちは言うのか、ツァラトゥストラを信じると。だが、ツァラトゥストラが何だろう? 
きみたちはわたしの信者だ。だが、およそ信者が何だろう!
 きみたちは、まだみずからを求めないうちに、わたしを見いだした。およそ信者のすることはそうだ。
それゆえ、およそ信仰はかくもつまらぬものだ。
 今やわたしはきみたちに命令する。わたしを失い、きみたちみずからを見いだせ、と。そしてきみ
たち全部がわたしを否定した時、はじめてわたしはきみたちのところにもどってくる。》
(秋山英夫・高橋健二、2015)
No.64
>>63

信じれば、それでいい、ということかw
No.65
山内志朗 『ドゥルーズ 内在性の形而上学(講談社選書メチエ le livre 極限の思想)』 (2021/12/09)
No.66
>>59

いやさ、あらゆる相対性を遡るとオイディプス神話に行き当たるってのは、近親相姦のタブーの重複を指してるんだよ。
自分の中の愛憎のそうかつじゃなくて、原因に傾向はあるかって話ね。
No.67
>>66

これちょっとはっきり言いたいんだが、物理的事実としての力を偏りを所与の条件とする場合、過去の文化的傾向って遂行文として否定されるけど、これがそもそもナンセンスなんだよね。
No.68
ドゥルーズ視点なら再演と言いたいとこだな
現実的には単なる投影だろ
No.69
>>66

ほんとソボクに、実在論者にはシニフィカシオン以前の私の生の偶然性について語って欲しいもんだよね。
実存主義者にはなんでシニフィカシオン以前に、ただ偶然生き延びているのが私、って感覚がないんだろ。わたくしなんてたまたま生きてるだけで、千葉じゃないけどそれは無意味の成れの果ての生であり、偶然の貴族なんだよね。
No.70
>>68

ルプレザンタシオンは構造に起因する再演じゃね?
No.71
ドゥルーズは物理的事実さえ文化的傾向≒偶然とみなす思想に帰着する
タルドへの傾倒などで特に顕著に感じるところだ
No.72
>>69

ちょっと、反プラグマティズム的実存主義の危ないところをまとめると、なにより問題なのは言存在としての無自覚さで、ヒトが思考の条件に言語を用いている以上、シニフィアンの連鎖に古いも新しいもないんだよね。
No.73
>>71

じゃ観思ですね。良かったね。
でもフラストレーションは残るから、こうやって5ちゃんに書き込みしてるんでしょ?
No.74
>>70

そのあたりの構造を厳密に定義しようと試みたのが「差異と反復」で端的に言うのは難しそう
ドゥルーズの論ではシミュラークルという概念というか次元を持ち込むことで解決させた側面と未解決にしてしまった側面があるように思う
構造と言わずに解決させたあれは認識論としての成功なのかなあ
未解決問題は「アンチ・オイディプス」で克服を試みたけどうまくいかなかったように見える
心理ではトラウマ問題にすぎないので臨床的効果がなければ空論とされてしまうし
No.75
>>73

フラストレーションの解消を5chに限定する理由はなんだろうか
生とはフラストレーションで生きてる限り消えないと思うし消す必要もないと思うよ
好きなようにフラストレーション解消を図ればよろしいのでは?
法的に問題ない範囲で
No.76
>>72

さっきドミューン観てて、前半では宮台は超越論に触れかかってたんだけど、例によって狂気の歴史には触れなかったのが、宮台のそれこそアドバンテージのキワなんだろうな、とすら思う。フーコーは外部にただ剣呑だったわけではなく、変な言い方だけど収容所がパンクして外に溢れちゃうヒトのことを想定して(構造主義の反転運動) 、革命が発生することを期待はしていたんだよね。
No.77
>>75

なにも問題ないんじゃない?
結局、構造主義が勝っちゃったことを証明するだけで。
No.78
>>77

構造こそが絶対であり、我々はテックに身を任せのんびり生きていく、で全然問題なし。
No.79
>>74

構文おつかれ。
No.80
>>78

これに反論できねぇのがネット民だから構造主義は強すぎてアレなんだよな。
No.81
>>80

構造主義ってマウントとりたいなら一番有効な立場なんだけど、千葉や宮台はだからこそあえてマウントはせずに正面からぶつかるんだよね。ワイは雑魚だから構造主義の論理でマウンティングしちゃうけど。
No.82
>>81

構造主義って、私もあなたも言葉を使って考えてますよね?で決まっちゃうからね。
あとはもう遊戯王カードで雌雄を決すれば?みたいなルール上のバトルになる。
存在論って少なくとも遊戯王カードよりかは、ヒトの命の分くらいは重いはずなんだけど
No.83
ドゥルーズはクリナーメンなんかも導入しながら構造を攻めたけど難しい戦いだったね
構造=権力だから思想的には一番、肝心なところだ
No.84
バトルっていう発想がもう少年ジャンプ(構造)🥺
お前らはマウントを取りたいから本読んでるの?
No.85
>>71

ドゥルーズやメイヤスーの偶然性のモデルの大本はルクレティウスの原子論。
それがクリナメン。
ドゥルーズの時代はそれを量子論として引き受けた。
それからヒュームの因果律。
ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 21
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1614095672/584-586
No.86
ドゥルーズが構造主義的な構造と対決したのが、『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』だよ。
このスレの人たちが必死に避けてきたそれ。
代表的なものが、リゾームや非シニフィアン的記号論。
千葉は、非シニフィアン的記号論を評価しつつも、
それが記号の論理である限り、限界があることも指摘している。
今はそういう検証をする段階。
No.87
つまんね🥺
既に語られたことを再認してるだけでは
No.88
千葉は独自にその次の段階も示しているが、
君たちが気づくこともできないだけ
No.89
>>88

無駄な努力、というものがこの世にはある。
対象的不毛といってもいいが。
No.90
いずれにしろ、日本の右傾化、若年層の保守化は進んでいる。
この先に来るのは、もちろん憲法改正と、それに伴う自衛隊の米軍指揮下入り。
日本のドゥルージアンたちのままごと遊びが、それを加速させているともいえる。
完全なる自己肯定思想として。
No.91
《何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりませ
ん。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつか
その時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越
したことはありません。
 わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、
部分は発見されたのですが,まだ全体を見出すまでにはいたっ
ていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けており
ます。わたしたちを支えてくれる人々がないからです。しか
し、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたし
たちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたし
たちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の
意識をもって始めたのです。
 それ以上のことはわたしたちにはできません。》
パウル・クレー『造形思考』ちくま文庫上202頁より
最終部がMP#11「リトルネロについて」で引用された。
No.92
《…芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙
の諸力を注ぎ入れようとする(さ
もなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、
大地の境界を広げるなど望むべ
くもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋この
うえない、そしてほとんど児戯
に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も
必要だ。そしてこれこそまさに、
いまもって欠けているものにほかならない。「われわれには
この力が欠けている。われわれは
民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれ
を始めた。それ以上のことは
できないのだ……(38)。》
(38) Paul Klee, Theorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145−151ページ〕
No.93
日本人 南部陽一郎が考えた超ひも理論を超える統一論が無いと判明 [144189134]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1640872764/

ニュートン最新1月号が発売
《素粒子が「点」だと,何が困るのか》
2021年に生誕100周年を迎えた
南部陽一郎博士が提唱した
ひも理論は,
「超ひも理論」(超弦理論)へと進化した。
素粒子を点ではなく「ひも」と考える利点は何か。
理論の実証はどこまで進むのか。
〜Newton最新号(1月号)「超ひも理論」より
画像
https://i.imgur.com/sedd2n1.jpg

超ひも理論を最初に考えたのは日本人の大栗博司(画像あり) [144189134]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1618703087/

超ひも理論
https://i.imgur.com/5bsPpTx.jpg

相対性理論と量子力学の統合理論 超ひも理論に勝てる理論って無いの? [659060378]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1613600324/
No.94
量子から線(リーニュ)へ
No.95
>>93

哲学愛好家が物理の理論に手を出すと、またやけどするよw
No.96
素人のナルシシズムを満たすのに物理使うの辞めたほうがいいよ🥺
No.97
ポエム巡って論争とか笑えるw
No.98
『千のプラトー』は『線のプラトー』だと言っただろ
No.99
物理の視点からすればドゥルーズは無限個のパラメータで理論構成して当てはめてドヤってるだけにしか見えん。
No.100
点というものは長さも面積も体積もないのだから、モノが点である
わけはない。