No.1
石坂智子を語ろうvol:1
レス数: 142
概要: 「ありがとう」「デジタルナイトララバイ」・・・なぜ消えた?
No.2
だから当時事務所も一緒だったはず。80年組で
同期には松田聖子、田原俊彦、河合奈保子、岩崎良美といった強力新人がいたせいか
ちょっと目立たなかったよなあ・・・
No.3
No.4
No.5
消息も分からないし、でも幸せに暮らしていると思いたい。「ありがとう」は名曲
No.6
No.7
♪あなたにすればone night
♪わたしにすればFarst night・・・・・
No.8
今きいた見たが確かにいい歌だな耳に残るって感じだよ
No.9
何かあったのかなあ・・・いろんな想像してしまうんだけど
No.10
屋号も苗字も変わってないのでまだご両親がやってるのかな?
この前すごい年配の女性を見かけたけどお母さんだったのかな〜。
No.11
この人結婚して引退したの・・・?
No.12
No.13
知名度の問題もあるんだろうけど当時は確か「たのきん」の番組にレギュラー出演してなかったっけな
No.14
No.15
No.16
No.17
No.18
この人その時そんなに知名度なかったんじゃないの?
音楽祭出て賞を取ってること自体驚きなんだけど。
No.19
No.20
No.21
住所は・・・金沢に旅行するので食べに行ってみたいな。
No.22
No.23
No.24
No.25
No.26
【寿司割烹 寿し良】
繁華街そばの犀川大橋のすぐ近く♪
ただ本人はいないと思うけど…。
No.27
横田早苗は「デジタルララバイ」ってのを歌ってたな。
No.28
決してブスじゃないがアイドル顔でもない
No.29
何だったか忘れたよ
No.30
西城秀樹の妹オーデの河合奈保子は別だけど
No.31
本人はどこにいる。
No.32
No.33
No.34
No.35
No.36
No.37
出てないよね、EMIアーティスト集には入ってるかもしれないけど・・・
No.38
田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、柏原芳恵、三原順子、松村和子、etc
ちなみに前年の新人賞は桑江知子。
もう一年早くデビューしてればだね。
No.39
しかし石坂智子も何か賞をもらってるよね
YouTubeでの歌ってる画像が何かの賞をもらった時の映像だから
No.40
田原俊彦 松田聖子
岩崎良美
河合奈保子
柏原よしえ 石坂智子 浜田朱里 甲斐智枝美 鹿取洋子
こんな感じだったと思う
2年目には河合と柏原が岩崎を追い抜いた
他にも松村和子とか三原順子も同期だけど
ここでは除外したいw
No.41
当時石坂智子って柏原芳恵と争うほどの人気ってあったんですか?
柏原芳恵ってヒット曲もそれなりにあるし
石坂は鹿取洋子の次くらいの人気ではないの
(当時をよく覚えて無くって書いてますが)
No.42
石坂と柏原はデビューは6月
デビュー曲の「ありがとう」は柏原の「 No.1」よりも売れた
セカンドもどっこいどっこい(石坂「デジタルナイトララバイ」柏原「毎日がバレンタイン」)
ここまでは同格
柏原はサードの「第2章…くちづけ」から徐々に売れ始め
デビュー翌年秋の「ハローグッバイ」でやっとブレイク
鹿取のデビュー曲はそこそこ売れたがアイドル人気は少なく一発屋のイメージ
No.43
その後差が出たのは曲に恵まれなかったのか事務所の力関係なのか・・・
「デジタルナイトララバイ」は結構いい歌だと思うんですけどね。
No.44
シングル5枚 アルバム2枚
引退前の記念にベストまで出してる
ってそこそこ恵まれてると思った
No.45
「デジタル・・」のような渋めの路線でやってはみたが反応がイマイチだったのか
事務所の方針がまとまらなかったのかちょっと気の毒な感じもする
No.46
No.47
復刻版ならファーストアルバム『デジタル・レディ』が紙ジャケ仕様で発売中。
ベストCDは廃盤だがヤフオクなんかに出てる。
No.48
石坂智子なんてどんだけぶりに思い出した過去アイドルだよwwwwwwwww
No.49
ホリプロスカウトキャラバンは一時期ハズレばっかりだった。
No.50
田原俊彦>松田聖子>岩崎良美>河合奈保子>松村和子>石坂知子>柏原芳恵>鹿取洋子>その他
デビュー時は(柏原芳恵・鹿取洋子より)石坂知子は優位だった。
No.51
1978年デビューは、渡辺真知子>さとう宗幸>石野真子>中原理恵>渋谷哲平>その他。
新人賞には選ばれなかったが(辞退を含む)、1978年デビューには、サーカス・庄野真代・世良正則ツイスト・チャー・原田真二が活躍した。
1980年デビューは、田原俊彦>松田聖子>岩崎良美>河合奈保子>松村和子>石坂知子>柏原芳恵>鹿取洋子>その他。
新人賞には選ばれなかったが、1980年デビューには、松原みき・三原順子が活躍した。
1982年デビューは、シブがき隊>石川秀美=早見優=堀ちえみ=松本伊代>中森明菜>小泉今日子>その他。
新人賞には選ばれなかったが、1982年デビューには、あみん・尾形大作・シュガー・日野美歌が活躍した。
1979年デビューは、駄目なのばっかり。
1981年デビューは、(近藤真彦は凄かったが)その他は駄目なのばっかり。
1983年デビューは、駄目なのばっかり。
「当たり年」と「外れ年」とが見事に交互であった。1978年・1980年・1982年は当たり年。1979年・1981年・1983年は外れ年。
逆にデビューする歌手にすれば、1978年・1980年・1982年にデビューすれば同期が凄くて外れ年にデビューとなる。1979年・1981年・1983年にデビューにすれば同期が駄目ばっかりで当たり年にデビューとなる。
No.52
石坂知子は79年・81年・83年にデビューしたら目立ったが、80年にデビューしたからこそ田原俊彦・近藤真彦・野村義男が主演した「ただいま放課後」の主題歌「ありがとう」を歌ってヒットもしたし話題性も集められた。
No.53
田原俊彦>松田聖子>岩崎良美>河合奈保子>松村和子>石坂知子>柏原芳恵>鹿取洋子>その他(甲斐ちえみ・スコッチ・千葉まなみ・中山圭子・パティリン・比企理恵・など)
1980年デビューだが新人賞には加わらなかったのは、エポ・松原みき・三原順子・もんたブラザーズ・横浜銀蠅・など。
No.54
No.55
No.56
新人賞の定数が五だと(発表前から)五人で確定していた。新人賞が6〜7だと残りの1〜2を巡って石坂・柏原・鹿取が激しく争いその他(甲斐・スコッチ・中山・千葉・パティ・比企・など)は絶望だった。
レコード大賞新人賞(定数五)は(発表前から)田原・松田・岩崎・河合・松村は確定していて石坂・柏原・鹿取の入る余地なし。
日本歌謡大賞新人賞(定数七)は(発表前から)田原・松田・岩崎・河合・松村は確定していて残りの二を巡って石坂・柏原・鹿取が争い石坂・柏原が選ばれ鹿取が落選。
FNS歌謡大賞新人賞(定数六)は(発表前から)田原・松田・岩崎・河合・松村は確定していて残りの一を巡って石坂・柏原・鹿取が争い石坂が選ばれて柏原・鹿取が落選。
となれば、新人賞での石坂・柏原・鹿取の順位は、石坂知子>柏原芳恵>鹿取洋子。
No.57
定数四の新人賞があったら、田原>松田>岩崎>河合が選ばれて、松村和子が落選。もちろん石坂>柏原>鹿取の入る余地なし。
定数三の新人賞があったら、田原>松田>岩崎が選ばれて、河合奈保子が落選。もちろん松村>石坂>柏原>鹿取の入る余地なし。
No.58
体型というより顔がね・・。
No.59
静と動との失敗は鹿取洋子。デビュー曲は動の「ゴーイングバックトウチャイナ」は良かったが、二曲目は静の「オリエンタルスピリット」で失敗。三曲目で動(「チャンストウナイト」)に戻したが、いったん離れた彼女(鹿取洋子)の動の雰囲気を戻せなかった。
No.60
静と動とでの失敗は鹿取洋子と千葉まなみ。
千葉まなみはデビュー曲の「早春賦」は凄く良かったが、二曲目の「ミスタースキャンダル」で完全に失敗。
1980年デビューの歌手の新人賞での順位。上位斑「田原俊彦>松田聖子>岩崎良美>河合奈保子>松村和子」。中位班「石坂知子>柏原芳恵>鹿取洋子」。下位班「甲斐ちえみ=スコッチ=千葉まなみ=中山圭子=パティリン=比企理恵=その他」。
千葉まなみは下位班だったので、所属事務所としては、上位班には入れなくったって、何としたって中位班に入るのを目指して、二曲目は大冒険をした。
デビュー曲の「ダンシングオールナイト」が大ヒットしたもんだブラザーズのもんたよしのりに作曲を頼んだ。その曲が「ミスタースキャンダル」。もんたよしのりが悪いのではないが、千葉まなみには動の「ミスタースキャンダル」は全く合わなかった。
鹿取洋子は「動」を貫くべきだった。千葉まなみは「静」を貫くべきだった。
もんたブラザーズは1980年デビューなのに、新人賞には加わらなかった。
(田原俊彦の賞受賞曲の「はっとしてグッド」より)もんたブラザーズの「ダンシングオールナイト」は大ヒットしたので、もんたブラザーズは新人賞に加わって入れば(田原俊彦を全く寄せ付けないで)もんたブラザーズの圧勝だった。
No.61
1979年デビューは駄目ばっかりだし1981年デビューは(近藤真彦は凄かったが)他は駄目ばっかり。
駄目ばっかりの1979年・1981年に千葉まなみがデビューしていたら目立ち静を貫けて活躍できた。
千葉まなみはデビューした年(1980年)が悪かった。
No.62
'70年代後半から流行ったニューミュージックの残留的な存在としてのデビューしたのがもんたブラザーズだった。
あと数年後だとニューミュージックも賞に加わったしニューミュージックとポップスの境界もなくなった。あと数年後にもんたブラザーズがデビューしていたら新人賞に加われたのに残念。
No.63
もんたブラザーズがもし新人賞に加わっていたら新人賞は大きく変わった。
もんたブラザーズがもし新人賞に加わっていたら1980年デビューの新人賞における順位。
もんたブラザーズ>田原俊彦>松田聖子>岩崎良美>河合奈保子>松村和子>石坂知子>柏原芳恵>鹿取洋子>その他(甲斐ちえみ・スコッチ・千葉まなみ・中山圭子・パティリン・比企理恵・など)
No.64
上位班「もんたブラザーズ>田原俊彦>松田聖子>岩崎良美>河合奈保子」松村和子は中位班に落選。
中位班「松村和子>石坂知子>柏原芳恵」鹿取洋子は下位班に落選。
下位班「鹿取洋子>甲斐ちえみ=スコッチ=千葉まなみ=中山圭子=パティリン=比企理恵=その他」。鹿取洋子は下位班では最高になる。
No.65
No.66
No.67
No.68
No.69
No.70
No.71
そもそも石坂智子のような顔立ちはアイドル向きじゃないと思う
確かに整ってはいるんだけどね
No.72
No.73
こういう顔立ちはアイドルとしては長続きしないよ
昔も今も
No.74
オーデションの優勝者で所属が NPミュージックで五郎のいた事務所、
実力者ぞろいの事務所で、神田広美・EVE・大橋恵里子・坂口純子
なんかいたかな。プロフィールの本名が小林や北野など姓が違う事が
あった。なんでか?当時不安になった。
No.75
一回だけ生で見たことがあるんだ あれから33年になるのかwww
これほど短い期間しか活動しなかったのに、すごく印象に残っている
No.76
芸能界を甘くみてたのか
こんなに短期間でいきなりやめるなんてちょっと姿勢を疑うよ
No.77
今聴いても意外に馴染める歌だよ
歌詞も当時のアイドルにしては強烈な内容だしね
No.78
石坂智子は真子似で可愛かったけどね あの年デビューの中では一番好きだったな
そういえば同郷の若林加奈も真子似だったな
二人ともあっという間にいなくなって全く残念だ
No.79
ごり押しすればそこそこ売れそうな感じだったが、
皆早く辞めちゃったのは個人的理由かな
(ライバルが強力すぎて自信喪失とか)
No.80
今改めてつべとか見ると「デジタルナイトララバイ」とか結構いいな
No.81
最後まで清純派路線だったんやろか
No.82
No.83
No.84
No.85
1981年に金の鳩賞に選ばれたのは、岩崎・甲斐・柏原・河合・田原・松田。石坂と鹿取と松村とは選ばれなかった。甲斐が選ばれたのかは謎・不思議。石坂も鹿取も二年目は殆ど活躍しなかったが、甲斐が二年目活躍はしていない。甲斐ではなくて松村が選ばれるべきだった。
松村の「帰って来いよ」は1980年レコードを出しているが1980年の終わりからヒットして完全にヒットしたのは1981年。1981年の紅白歌合戦に松村は初出場して「帰って来いよ」を歌った。金の鳩賞に選ばれるのは甲斐ではなくて松村である。
No.86
当時は雑誌やテレビなどでは情報が少ないせいもあったからかもしれない
石川県という存在自体も当時は全然知らなかった
No.87
No.88
No.89
「あの人は今」的なコーナーあるけど出てほしいな
スタッフ頑張れよ
No.90
どうも有線放送のようだけど今でもリクエストする人いるんだな
No.91
デジタルナイトララバイのサビの部分だけ覚えてる
No.92
この人、地味だったけど、何故か夢の中に出てきた
小さな喫茶店で店番していて、俺が客で、二人っきり
カウンターを越えて・・・、初体験の相手になってくれるという、嬉しい夢・・・
目が覚めて悔しい思いをしたが、少年時の妄想を掻き立ててくれた、ある意味、思い出のひとだった・・・
No.93
好みだったけど
他の同期の歌手に比べて華奢で地味だった
なんか
本人は自信なさそうな感じで 芸能界には向いてないと思って
見切りをつけたんかな
No.94
No.95
北陸新幹線が開通して金沢も身近になったので、
石坂さんの実家のお鮨屋さんで日本海の幸でも堪能したいな。
No.96
うまく新人賞レースに乗れなかったのも敗因の一つだろうけど
事務所が弱かったんだろうか
No.97
No.98
ありがとうーデジタルーABCまではどうにかだけどスターの波には乗ってたはず
しかし伸びしろが無かったのかねえ、、、
No.99
No.100
競争馬が強すぎたよ
デビューが一年ずれてれば違う展開になったろうに
No.101
小学校の時は同級生だと思うけどしゃべった記憶もあるけどうっすらしか記憶がない
高校のとき卒業アルバムを見せてくれといわれたけど何の感傷もなかった
高校のとき同級生に公開放送につれだされ(たぶんNHK)歌を聴いた記憶はある
こんなスレを見つけたので高校以来思い出した
悲しいかな音楽にまるで興味がなくレコードCDを買ったことすらないのであった
No.102
二曲目のデジタルナイトララバイのほうがよっぽど馴染みやすい曲だわ
No.103
その後の歌は印象に残る程のヒット曲もないだろ
顔は決してブスじゃないけどアイドル向きじゃないと思う
No.104
79年は
桑江知子>竹内まりや>倉田まり子>井上望>松原のぶえ
81年は
近藤真彦>山川豊>沖田浩之>祐子と弥生>竹本孝之
だぜ!!
知名度抜群、今もそれぞれの道で活躍。
ある意味大物揃いだろっ
No.105
沖田浩之は天国で活躍中
No.106
生智子体験したのね?(笑)
No.107
これといったみるべき子がいなかったし。
No.108
これ見ると何が原因か分かるけど、、
No.109
No.110
No.111
石坂智子はありがとうとデジタルが殆どだけど
No.112
No.113
70年代女性アイドル最高峰は(キャンディーズでもなくピンクレディでもなく)山口百恵。
山口百恵の同期は、(50音順で)アグネスチャン・浅田美代子・あべ静江・安西マリア・桜田淳子と同期はかなり強力。各新人賞ではアグネス・浅田・あべ・安西・桜田が選ばれてが選ばれて、山口百恵は選ばれなかった。
しかし、最終的にはアグネス・浅田・あべ・安西・桜田の5人を山口百恵は抜いた。
No.114
No.115
No.116
No.117
No.118
No.119
No.120
No.121
No.122
No.123
No.124
No.125
No.126
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪
No.127
No.128
83年デビューの松本明子が言っていた。82年デビューと83年デビューとに差があり過ぎた。
No.129
まぁマッチ沖田もいたし
No.130
桑江知子の「私のハートはストップモーション」は小ヒットしたけれど化粧品のコマーシャルソングだったからね。むしろ、化粧品のコマーシャルソングを考慮すれば「私のハートはストップモーション」はヒットしなさ過ぎ。
化粧品のコマーシャルソングの桑名正博の「セクシャルバイオレット」も堀内孝雄の「君の瞳は10000ボルト」もかなりヒット。
79年デビューで79年の紅白歌合戦に出場歌手はなし。
日本テレビ音楽祭のみで行われたデビュー2年目に与えられる「金の鳩賞」は79年デビューでは該当者なしだった。
No.131
79年デビューで新人賞で優位だったのは倉田まり子・桑江知子。しかし、倉田まり子・桑江知子が78年・80年・82年にデビューしていたら完全に埋没していた。
No.132
近藤真彦がジャニーズ事務所から歌手デビューしているのにもう一人ひかる一平を歌手デビューさせている。近藤真彦の陰に隠れてひかる一平が駄目になるのは目に見えている。ひかる一平はデビュー曲すらヒットしなかった。しかも、急に太ってデブになり不細工になった。
沖田浩之はデビュー曲のE気持ちは小ヒットしたが2曲目以降はヒットなし。しかも、E気持ちは「ABCABCハーンE気持ち」の歌詞が放送禁止となりNHK出演ができなくなった。
各新人賞数人に祐子と弥生が選ばれていたが、新人賞数人が全部男だったら余りに虚しいから誰か一人女を入れなければならないから祐子と弥生が入れただけ。祐子と弥生が78年・80年・82年にデビューしていたら新人賞数人に選ばれるのはなかった
No.133
No.134
No.135
No.136
No.137
1981年は近藤真彦は凄かったが他は駄目ばっかりだった。
駄目な1981年デビューでありながらヒット曲はおろか話題性すら集まらなかった矢野良子。
矢野良子は1981年3月デビューで、1981年3月に矢野顕子が「春咲小紅」を出している。
「春咲小紅」は化粧品コマーシャルソングであるのでヒットもしたし話題性も集まった。
矢野顕子は1981年3月デビューではなく(1981年より前から)歌手活動・芸能活動を行っていたが、ヒット曲はなかったので矢野顕子の存在も殆ど知られてもいなかったし芸能活動も殆ど行ってもいなかった。
1981年3月に「春咲小紅」がヒットして矢野顕子が知られ、矢野顕子が1981年デビューと思われて仕舞っていた。
「1981年3月デビューの矢野良子」と「1981年3月にヒット曲がはじめて出て芸能活動を本格的に行って世間にはじめて知られた矢野顕子」。
「矢野良子のデビュー(1981年3月)」と「矢野顕子の本格的な芸能活動(1981年3月)」とが重なって矢野良子と矢野顕子とを混合・誤解する人が凄く多かった。
No.138
No.139
1983年は外れ年だったからねえ。1983年デビューでは(たのきんトリオで話題を集めた)野村義男が中心となったザグットバイがやや優位だったけれどヒット曲もなかったし紅白歌合戦出場もしていないし。83年デビューで紅白歌合戦出場者は全くなし。
松本明子が言ってたけれど82年デビューと83年デビューとに差があり過ぎた。
82年デビューは、(50音順で)石川秀美・尾形大作・小泉今日子・シブがき隊・シュガー・中森明菜・早見優・日野美歌・堀ちえみ・松本伊代などで(松本伊代を除く)全員が紅白歌合戦出場経験あり。
No.140
82年デビューの堀ちえみが口内癌を発表。82年デビューの他の人が励ましの言葉を送ったりしている。
堀ちえみ退院後には82年デビューで集まって同窓会を計画中と松本伊代。
82年デビューは、(50音順で)石川秀美・尾形大作・小泉今日子・シブがき隊・シュガー・中森明菜・早見優・日野美歌・堀ちえみ・松本伊代などで(松本伊代を除く)全員が紅白歌合戦出場経験あり。
82年デビューが勢ぞろいしているのを見て見たい。
83年デビューで紅白歌合戦に歌手としての出場は全くなし。なお、83年デビューでは松本明子がテレビチャンピオンの司会・レポーターで人気・話題が出てから松本明子はゲストとして紅白歌合戦に出場している。
No.141
同期は確かに強力だった。しかし、新人賞に選ばれなくても同期が強力でも悲観・卑下をしてはいけない。
サザンオールスターズ(78年デビュー)も山口百恵(73年デビュー)も新人賞にも選ばれなかったし同期も強力だった。しかし、サザンオールスターズも山口百恵も最終的にはその年デビューの最高峰になった。
石坂知子、今だに残念で仕方ない。
No.142

