なぜ「四式戦闘機疾風」は、残り1年で3500機?

レス数: 18

概要: なぜ「四式戦闘機疾風」は、敗戦間際の残り1年で3500機も生産されたのか。 ちなみに零戦は10000機、隼は5500機だが、これらは戦間期を通じ実質4年間の数字。 http://mobile.seisyun.net/cgi/read.cgi/hobby9...
No.1
なぜ「四式戦闘機疾風」は、敗戦間際の残り1年で3500機も生産されたのか。
ちなみに零戦は10000機、隼は5500機だが、これらは戦間期を通じ実質4年間の数字。
http://mobile.seisyun.net/cgi/read.cgi/hobby9/hobby9_army_1180347472

論争 皇軍が撃墜したB-29は何機だったか
http://yomi.mobi/read.cgi/hobby11/hobby11_army_1198151856

【その四】四式戦闘機疾風丁型
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-C-ChinaD/maps/USA-C-ChinaD-3.jpg

1944年〜1945年初頭の支那派遣軍の進撃状況図
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf

戦線別年代別米軍死傷者数 1775-2009
補給問題と航空機の事故は未だ戦力の足を引っ張り続けた。逆に、
日本側の防御努力が効果を上げつつあった。11月21日、大村攻撃では
6機のB-29が日本機により撃墜された。12月7日、奉天(訳注:今日の瀋陽)
の満州航空機会社空襲での損失率はそれとほぼ同じであった。事故による、
敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃による
B-29の損失はもはや見過ごし得ず、1944年の終りには147機に達した。
<中略>
マッターホルン作戦では49回の作戦任務を実施し、航空機の出動数は3,058
ソーテイであったが投下した爆弾はただの11,477トンであった。この作戦
に膨大な努力を傾けたわりに、日本の目標に与えた損害は僅かであった。
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/b29.htm
No.2
議事録には次のようなイーカーの言葉が引用されている。
「日本にたいし航空兵力のみの使用を主張する者はきわめて重大な事実を見過ごして
います。それはつまり、航空機のみが敵と対決するときは、航空兵の死傷者数は決して
低下しないという事実です。現在の航空兵の死傷者数は一度の任務につきおよそ二パー
セントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです」イーカーは続けた。
「時期を逸すれば、敵が有利になるだけです」
「日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌」(T・アレン&N・ボーマー著)
http://www.endusmilitarism.org/casualty_projections_Giangreco.html

"GENERAL EAKER said that he agreed completely with the statements
made by General Marshall in his digest of the memorandum prepared
for the President. He had just received a cable in which General
Arnold also <page 559> expressed complete agreement. He stated
that any blockade of Honshu was completely dependent upon airdromes
on Kyushu; that the air plan contemplated employment of 40 groups
of heavy bombers against Japan and that these could not be deployed
without the use of airfields on Kyushu. He said that those who
advocated the use against Japan of air power alone overlooked the
very impressive fact that air casualties are always much heavier
when the air faces the enemy alone and that these casualties never
fail to drop as soon as the ground forces come in. Present air
casualties are averaging 2 percent per mission, about 30 percent
per month. He wished to point out and to emphasize that delay
favored only the enemy and he urged that there be no delay.
>現在の航空兵の死傷者数は一度の任務につきおよそ二パー
>セントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです
34機のB-29を失った
34機のB-29を失った
34機のB-29を失った
正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/
~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html
10.韓国B-29の旅 ソウルのハムとB-29を訪ねて(2002.11/16〜11/19)
No.3
>韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
>tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
     20TH AIR FORCE                 9TH BOMB GROUPC
     From June 5, 1944 on             From February 9, 1945 on
Missions          380                        75
Sorties        
Combat          31,387                       1843
Other           1,617                        169
Total           33,004                       2012
Bomb and
mine tonnage      171,060                      11,376
B-29 losses
Combat losses      494                   14 + 5 non-combat
Training losses in U.S.  260                          1
Air crew losses
Killed             576                26 + 1 ground crewman
Missing           2,406                  96 (12 repatriated)
Wounded or injured    433                         30
http://www.9thbombgrouphistory.org/Chapters/Chapter_07.pdf
No.4
2!
No.5
>>3

朝鮮戦争の中朝軍と比べたら、旧軍の対空火力は10倍以上はあるよな。
No.6
単純に、落ちる前に飛行場へ胴着できる近距離だった朝鮮戦争と、
少々の被弾でも、長い復路で落ちることもある太平洋戦争の違いじゃね?
統計のマジックだと思うが。
No.7
>落ちる前に飛行場へ胴着できる近距離だった朝鮮戦争
 当時の米第八軍司命官リッジウェイ大将は本国帰還後、回想の中で、「日本におけるPD調達による
車輌修理および再生役務の実績なかりせば、朝鮮事変は三ヵ月間も維持できなかったであろう」
とのべている。<原注24> 朝鮮戦争で日本が果たさせられた役割りがいかに大きいものであったかは
この一語をもってしても明らかである。
ttp://www.oct.zaq.ne.jp/afalv507/heiwa1.htm
○林(百)委員 そうすると、朝鮮事変か擴大されても、六百五十億以上の費用は持たないという、
いかに擴大してもこれ以上日本は費用は持たないという答弁と私は解釈しますが、それでいいかどうか。
 その点とそれからもう一つ、実は本日の新聞にも出ておるところでありますが、国防分担金にからまりまして、
米軍が最近発注する兵器が工場渡しになつておつて、米軍の照明弾二百二十九万四千発、ナパーム爆弾用
タンク十万二千個大阪機工へ注文しておる八十一ミリ迫撃砲四百八十九門、小松製作所及び大阪金属両社の
同砲弾六十二万五千四百発、豊和工業の銃身三千百九十ちよう、迫撃砲弾三十六万三千発、照明彈三万二千発
の入札が在日米軍の調達本部で行われて、
ttp://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0082/01306140082034a.html
>少々の被弾でも、長い復路で落ちることもある太平洋戦争
 マッターホーンにより、中国・成都に前線基地が建設されるはこびとなり、インド・カラグプルに
B−29専用基地とその大規模な兵站支援施設が設置された。米国の膨大な資金と約四〇万の中国人
労働者をつぎ込んで、一九四四年五月までに成都地域の四ヶ所にB−29専用基地が造られると共に、
爆撃機の飛行場を保護する戦闘機用基地が数箇所に建設された。それらの基地まで、数千の支援要員
となる技術者、兵器係、コック、倉庫管理係に加え、予備部品(交換用エンジンも含む)、爆弾、食料、
燃料を運ぶ必要があった。中国の基地から一〇〇機のB−29による攻撃を実施するには、およそ二三〇〇トン
の物資を運び入れるほかに、肝心の爆撃機をインドの後方基地から中国まで飛ばす必要もあった。
<中略>
 一九四四年末までに、蒋介石はもはや有力な盟友と見られなくなっていた。日本軍は中国東部での攻勢で
さらに八省を手に入れ、さらに一億人の中国人が日本の支配下に置かれ、米軍飛行基地は放棄のやむなきにいたり、
中国の東海岸は封鎖された。帰還命令を受ける直前の十月四日、スティルウェルは日記に書きつけた。
「陸軍省が私に味方しているのは明らかだが、この戦域は無価値とみなされ、われわれは何も期待されていない」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 >
No.8
ハイオクと質の良いプラグがあれば、もう少し活躍できたのにね
No.9
ハイオク云々よりもオイルの問題じゃないかな?
No.10
>>7

ソースだけ張られても、どういう意図か説明しないと伝わらんが?
B-29は主要基地であるテニアンから往復4000km程度飛んでるし、
硫黄島が落ちるまで戦闘機の援護も受けていない。
(4月から漸くP-51の随伴&緊急時の着陸場所として機能。作戦損失も5%→1%へ減少)
朝鮮戦争時は福岡や沖縄から飛ぶ訳だが、往復で1000〜2000程度しかない。
MIGが出てくるまでは、圧倒的な航空優勢を確保していたし。
また韓国内の緊急飛行場へ着陸できた機体は、作戦中の損失としてはカウントされない。
(スクラップであっても)
No.11
>10
中朝軍のB-29撃墜率は、旧軍の十分の一以下。旧軍の対空火力もさることながら、
朝鮮戦争にしても基地機能を果たすだけの工業基盤が戦前から磐石だった。
逆に工業基盤の無い中国に航空基地など建設しても役には立たない。
No.12
疾風はあの状況じゃ、最後の切り札だったんだし、P-51と互角に渡りあえるのも疾風以外には当時なかったんだから力も入るわな
紫電改厨が湧きそうだが紫電改がどんなに優秀だろうが、結局F4FやF6グラマン相手が限界だった事を考えると
疾風が本土決戦機としてふさわしく、期待され、その結果短期間にあれだけの数が生産されたんだよ
No.13
つ五式戦闘機
No.14
なんにしても朝鮮戦争の中朝軍と比べれば、旧軍の対空戦力は圧倒的に強い
No.15
戦略爆撃調査団の報告には、昭和18年においても三菱、中島の工場は世界でトップの水準にあったそうで、
本来、その時期までに年間生産機数は3倍くらいあってもおかしくなかった。
さらに、烈風までもおりこんで系統生産していれば爆撃は中止になっていてもおかしくなかった。
ただ、日本の弱点はオクタン価の低い航空ガソリンを使っていたので、エンジンの性能を発揮できなかった。
また高高度に達する時間が40分から1時間と掛かるため、爆撃隊と会敵できずに終わることも多かった。
No.16
5式戦闘機も優秀だが、終戦間際の4ヶ月で400機。
同期間で比較しても、4式戦闘機に及ばない。
No.17
いくら積み木を集めても集めるだけでは意味ないのにな。
No.18
戦略爆撃調査団の報告を持ち出すなら、結論である「戦略爆撃の効果の薄さ」を理解しろよw
(潜水艦による海上封鎖が一番の効果的な訳で)
キ-100はあくまで首無しキ-61