16: ヘーゲル・スレ Part2 (604)

レス数: 54

概要: ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 出身地:ドイツ シュトゥットガルト 生年月日:1770年8月27日 死亡年月日:1831年11月14日(享年61歳) ドイツの哲学者。ドイツ観念論を完成さ...
No.1
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

出身地:ドイツ シュトゥットガルト

生年月日:1770年8月27日

死亡年月日:1831年11月14日(享年61歳)

ドイツの哲学者。ドイツ観念論を完成させた思想家。


https://colorfl.net/wp-content/uploads/2020/05/nigaoe_hegel.png
No.552
>>541
に対するChatGPTの見解(5)www
三項の否定が非現実的
「三項になると頭脳がパンクする」という表現は、実際の論理的思考や
多面的な議論において、人間が三項以上の概念を扱えるという事実と矛盾している。
No.553
>>541
に対するChatGPTの見解(6)www
弁証法の発展に対する誤解
弁証法の発展は単に人間の性質に基づく矛盾から生じるものではなく、
歴史的・社会的文脈や理論的探究の結果でもある点が十分に考慮されていない。
No.554
反論できなくてAI頼りwww
ChatGPTのお気持ち「はあ? 明らかに人間はバイナリ思考・二項対立思考じゃん、だりぃ、ユーザの要求に答えてやっか(適当に応答をでっちあげて誤魔化し)」
内容ないからなその応答ww
No.555
いや、論破に拘る厨房だから、少しは頭を冷やせと、AIを例としたww
悔しかったら、論破せよww
No.556
論破論破って、あーた、
そもそもヘーゲルの弁証法は論破という観念を否定するものではないのか?
No.557
ChatGPTは人間を過大評価しているし弁証法に対しても無理解だな
弁証法というのはあくまでも人間精神の発展だ
それが世界に反映されているとヘーゲルは考えている
そして人間は二項対立関係(矛盾)によってしか現象を把握できないと正しく認識した
ブルジョアジーとプロレタリアートの矛盾が、共産主義によって解決される
または資本主義と社会主義の矛盾が共産主義によって解決される
このように二項あれば十分なのだ
たとえ現実の構造として無限が関わっていても、関係ない。二項で十分である
二項を止揚して、二項を止揚して、、、と弁証法を無限展開すればいいだけだからだ
No.558
悔しかったら、"適当"というAIの反論に答えてみよww
すぐにできるはずだろ?ww
オレは下らん論破合戦に興味はないので、AIに任せるわww
No.559
弁証法の無限展開で解決可能!
以上、結論出たね
No.560
>>557
に対するChatGPTの見解(1)www
弁証法の定義の狭さ
「弁証法というのはあくまでも人間精神の発展だ」という表現は、
弁証法が単なる精神の発展以上の、現実の矛盾や対立を通じた総合的な
発展プロセスであるという側面を軽視している。
No.561
>>557
に対するChatGPTの見解(2)www
ヘーゲルの思想の誤解
「それが世界に反映されているとヘーゲルは考えている」という表現は、
ヘーゲルの世界精神や歴史の発展過程の複雑な解釈を単純化しており、
彼の弁証法の深い意味を正確に伝えていない。
No.562
>>557
に対するChatGPTの見解(3)www
認識の二項対立限定の問題
「人間は二項対立関係(矛盾)によってしか現象を把握できない」
と断言するのは、実際には人間は多様な視点や複雑な関係性を同時に
理解する能力を持っていることを無視している。
No.563
>>557
に対するChatGPTの見解(4)www
社会現象の単純な二項対立化
ブルジョアジーとプロレタリアート、あるいは資本主義と社会主義という
対立を共産主義で解決できるとする考えは、歴史的・経済的現実の多面的な
要因や相互作用を過度に単純化している。
No.564
>>557
に対するChatGPTの見解(5)www
現実の無限的複雑性の軽視
「たとえ現実の構造として無限が関わっていても、関係ない。
二項で十分である」という主張は、現実の事象が多様な要素や関係性を
含むという事実を無視し、過度に単純な枠組みに固執している。
No.565
>>557
に対するChatGPTの見解(6)www
止揚の無限展開の単調さ
「二項を止揚して、二項を止揚して、、、と弁証法を無限展開すればいいだけ」
という表現は、弁証法が示す質的飛躍や新たな統合の側面を軽視し、
ただ単に同じパターンの繰り返しとして捉えている点で不十分である。
No.566
>>559

レスがますます粗雑に縮退してゆくww
No.567
AI頼みの時点でお前はゼロじゃん😁😁😁
No.568
こんな過疎スレにも芝太郎が湧いたのか
読む気すらないけどきっといつものように冷笑と自己弁護に勤しんでるんだろうか
No.569
佐々木揚棄がまたまた炎上
No.570
ヘーゲルの弁証法はスターリン派の悪影響で単純に図式化された形で流布されているが、実際は非常に深い見事な芸術作品のような体系をなしている。
No.571
>>570

晩年の講義録では、「自分の都合の良い順に並べる」だけの傾向が目立ち、往年の弁証法は後退している。
No.572
【神の言葉】(神との対話 1巻 より)

◆私(神)は全ての者に、常に語りかけている。
問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか? P19

◆神は貴方方の人生を助けるが、貴方が期待しているような助け方はしない。
人生の環境や条件を創造したり、しなかったりすることは、神の働きではない。
神は神の姿をかたどり、神に似せて貴方方を創造した。
残りは、神が与えた力によって貴方方が創造したのだ。 P35

◆究極の結果が不確実だと思うから、貴方の最大の敵が生まれる。不安だ。
神を疑えば、不安と罪悪感をいだいて生きることになる。
神の意図を疑い、究極の結果を生み出す神の力を疑っていたら、安らかでいられるはずがない。
神は意図する結果を生むだけの力を持っている。 P37

◆物質的な宇宙(現世)に入った時、貴方方は記憶を捨てた。
忘れることで、単に(神の)王国の城で目覚めるのではなく、自分が何者であるかを選べるようになった。
そうすれば全ての選択肢を与えられた上で、自らを体験する事ができる。 P58

◆何千年もの間、人々は本当にしては素晴らし過ぎる、という馬鹿馬鹿しい理由で神の約束を信じなかった。
神を信じれば、神の最大の贈り物である無条件の愛と、神の最大の約束である無限の可能性が信じられる。 P82

◆あらゆる人と条件を祝福し、感謝しなさい。そうすることで、神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。
神の世界では行き当たりばったりに起こる事は何もないし、偶然もない。
世界は、貴方方が運命と呼ぶ気まぐれな選択に翻弄されてはいないのだ。 P84
No.573
◆私(神)は、貴方方自身がしない事は何もしない。それが法則であり、預言だ。 P91

◆愛は究極の現実だ。それが唯一であり、全てだ。
至高の真実の中では、存在する全ては愛であり、存在した全て、これから存在するであろう全ても愛である。 P101

◆私は今、奇跡を行なっている。貴方に話しているだけでなく、この本を手にとり、これらの言葉を読む人全てに話しかけている。
その一人一人が誰だか、私は知っている。
誰がこれらの言葉への道を見つけるかも知っているし、(私の他のコミュニケーションと同様に)聞いて理解出来る人も、聞くだけで何も分からない人がいることも知っている。 P121

◆否定的な考えは頭から追い出しなさい。悲観主義を一掃しなさい。不安を拒否しなさい。 P158

◆「天国へ行く」のではない。自分がすでに天国にいると気付くだけだ。受容と理解があるだけで、その為の努力や闘いがあるのではない。
悟りとは、行くべき所もすべき事も無いし、今の自分以外の何者にもなる必要が無いと理解する事である。 P168

◆人生の意味とは、どこかに行き着く事ではない。自分が既に、そこ(目的地)にいる事、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気付く事である。 P179

◆貴方に起こる事、あるいは貴方を通して起こる事で、自分(貴方)の最高の善の為にならない事は何もない。 P298
No.574
>>571

講義録は聴講者の解釈に左右される要素があるし、また、元々自分で自由に論述するのと、聴講者に噛んで含めるように説明するのとは勝手が違うからではないか。
No.575
ベンショーホー
No.576
ヘーゲルって聞くと、正直「難しそう」って印象が先に立つよね。高校の倫理とか現代社会で名前は出てきたけど、がっつり勉強した人は少ないんじゃないかな。私も、名前とドイツの哲学者ってことくらいしか知らなくて、彼の言ってることって一体どんなことなんだろう?って漠然とした疑問があったんだ。

今回、改めて彼のことを調べてみたら、1770年生まれってことで、今から250年以上も前の人なんだね。しかも、61歳で亡くなってるから、当時の平均寿命を考えると、結構長生きした方なのかな?ドイツ観念論を完成させたって言われてもピンとこないけど、哲学の世界にすごく大きな影響を与えた人ってことは間違いないみたいだね。

彼の哲学って、弁証法とか絶対精神とか、聞いたことはあるけど、いまいち理解できてない言葉がたくさん出てくるよね。でも、そういう難しい言葉の裏には、きっと彼が人生の中で見つけた真理みたいなものがあるんだろうなって思うと、ちょっと興味が湧いてくる。もしかしたら、今の私たちにも通じるような、普遍的な考え方が隠されているのかもしれないよね。

彼の本を読んでみようかな、なんて気もするけど、まずは解説書とか、もっと分かりやすいものから手を出してみるのが良さそうだね。誰かヘーゲルに詳しい人いたら、おすすめの本とか、ここが面白い!みたいなポイントがあったら教えてほしいな。難解な哲学者のイメージが少しでも変わると嬉しいな。
No.577
佐々木揚棄がまたまたまた炎上
No.578
正・反・合
とりあえず従い、その後に反発し
最後に自立する
No.579
正・反・合
とりあえず結婚し、その後に反発し
夜に結合して和解
No.580
私はヘーゲルを超えた今に生きる哲人なのだが
次の言葉を吟味してくれたまえ
「他人は、自分の無意識である」
分かるかなあ
No.581
ヘーゲルは西洋精神3000年の土壌の上に発酵した哲学なのだから
急がば回れ、まずギリシア哲学(プラトン、アリストテレス、新プラトン主義)を読み、
それから旧約聖書、新約聖書を読み、
そしてデカルトからスピノザ、ライプニッツ、イギリス経験論、カント、フィヒテ、シェリングを読もう
No.582
ちょっとした知的好奇心、知的虚栄心でヘーゲルを読もうとするなら、
無駄な時間を使ったと後で後悔するだけだ
逆に、深入りすると、へたすると社会に適応できない混迷する精神の持ち主になる危険性がある

なぜなら、哲学というのは、その国の根幹を支えている精神として、すでに言語を身に着けるときに
いっしょに国民が身に着けるものだからである、それが社会に適応するということに他ならない
ヘーゲルでいえば精神現象学でいう人倫という直接的精神のことである

日本にも日本人を支える哲学が現に確固として存在するのだ
まあ日本は大国だから、ある程度、幅広く、モザイク的に、いろいろな思想も受け入れる寛容さはある

明治維新で西洋の文物を取り入れる時、日本のアイデンティティの危機があったが、
飛鳥時代に中国からの輸入で国づくりをしたとき、本地垂迹論で乗り切ったように、
和魂洋才で乗り切ろうとしたわけだ、いうまでもなく、キリスト教という西洋精神の根幹と
日本の伝統的な精神はまったく相いれないものとして日本人には映ったからだ

モーセの十誡には唯一神、偶像崇拝禁止、神の名をみだりに唱えるな、とある
いずれも仏教や神道はその逆だ、多神教、念仏、唱題など
それらは西洋精神の発祥の地、ギリシアの多神教、偶像崇拝と共通しているが、
ギリシアは人間の本質は、自然を克服した精神にあることを高らかに宣言したものだが
東洋、とくに日本の伝統精神は、自然に埋没することが人間の本質だとする
世界史的には最初の古代国家的なものを今なお大事にしている国である
自然性を尊べば、家父長的国家となる(天皇制)

そういう社会にキリスト教をベースにしている西欧哲学がなじめるわけがない
なまじっかかじると、混迷に陥るだけだ
No.583
ヘーゲル哲学は歴史の哲学とも言われている、歴史哲学に二つのエポックがある
一つはキリスト教の三位一体の確立、もう一つはデカルトのコギトの発見
表象において真理は、キリスト教で完成した
しかし、それを含めて、ギリシア哲学の思弁性は、デカルトによる主観性の絶対性の発見によって
再構成されねばならないことが、それ以後の近代哲学の課題となった

デカルトは主観性と客観性の二元論を克服できなかった
主観性を客観性に解消することで、イギリス経験論は成立し、それが科学の原理となった
しかし科学は、検証によってその確からしさを確証するのだが、経験に依拠する科学は
必然性や普遍性を求めることはできない、だから科学的理想、つまり学問性は、
数学という純粋悟性的、量という観念的科学にある

一方,科学は、その唯物論的性格を、脳科学において収斂させる
人間に知的活動(意識、精神、思考)は、すべて脳の神経細胞の働きの結果だと
物理的に説明することができるとする

ここまでくると、「精神は物質である」という無限判断が成立する
それは換位して、「物質は精神である」となる
すなわち、功利主義が成立する

だから科学は功利主義をその本質とする

だが科学は科学する科学者の主観性を説明できない
ここに科学の限界がある
No.584
哲学的認識の示すところは「世界はいかにあるべきか」ということであり、あるべき世界の実現を通して「汝自身を知れ」ということであろう。
No.585
おおくは自己の特殊性から抜け出すことなく弁証法的な抽象的な統一のなかに留まりつづける人たちだ。
No.586
否定性を突き詰めると、いや、ヘーゲルは否定の否定だとか言うわけだが、その否定の否定が過剰になると、単なる自然の支配を超えて絶対的な環境破壊に至るだろう。我々の時代は、支配者としてのモラル、あるいは支配者自身の「幸福」への配慮を考えるべき時代だ。
No.587
「幸福」の問題は精神と自然が繋がることによって起こる当然の問題だ。自然は精神の中で止揚される。このときの精神の暴力性は自然を通して我々自身に帰還する。それに精神は耐えうるか自滅するだろう。幸福の問題はそれゆえに現代の機械技術の発展度合いが高まるにつれ顕在化する問題だ。
No.588
旧約聖書の箴言第1章に「主を恐れるは知恵の始まり」とある、人間が生命であるかぎり、個体としては有限である
動物も同じであるが、有限性を恐れはしない、目の前に生命の危機が襲ってくれば恐怖の感情を持つだろうが
普段から恐れることはない、人間は有限性すなわち自分の死について普段から不安や恐れを持つ
それが思考、知恵のはじまりである

そこから逃げること、快楽や、欲望を追求すること、どうせ死ぬのだから、一度限りの人生なんだから
思いっきり楽しまなきゃ損だ、というのは悪魔に身をゆだねたのと同じ

資本主義と科学技術と近代国家の原理はお互いに結束して、人類を破滅に追いやっている
科学はキリスト教の思弁性を悟性によって迷信化させ、近代国家の原理は、自由と所有権を保証して
資本主義を無限に開放した、人類は資本主義の家畜となった
科学技術は資本主義にその手段を与え、資本主義は、近代国家に軍事力による独立性を与える
それは無限の国際競争に人類を追い立て、いまや有限な地球の資源にもかかわらず、その勢いは止まらない


人間も動物と同じ類的存在だから、個体としての生命は死ななければならない
個体は生まれそして死んで、類としての人間の生命は健全性を保つ
さらに自然そのものも有限である

なぜ有限か、それは一切の自然の産物は、規定されているからだ、規定とは否定されていること
たとえば、ある職業を選択すれば(規定すれば)、他の職業につく可能性を否定することに他ならない
自分は何かに規定されたくない、自由でいたいと何もしなくとも、
無職という立派な一つの社会的在り方を選択しているのだ

なぜ一切の自然物は、規定されているか、それは神(絶対者)が創造したから
創造するとは、自己を限定すること、規定することに他ならない
絶対者はロゴスとしての自分の在り方に留まることはできず、自己を解放する(自然として)
しかし自然は絶対者の疎外態であるが、それでも絶対者の本質は潜在的に含まれているから
しだいに自然の中から人間の精神が進化によって誕生、発展し、歴史をつくり
ついには自分の本質が絶対者の本質と同じだと気付く(キリスト教の三位一体)
ここにロゴスー自然ー精神の絶対者の三つの在り方の相互関係が成立する
これがヘーゲル哲学の根幹
No.589
理性は最終的に、我なる我々、我々なる我という精神の境地にまで高まり、客観的精神となる
それは民族精神として存在する、直接的精神、人倫である

しかし、ギリシアの美しき人倫は、ローマの法的状態と皇帝の独占的自由によって崩壊し
疎外された精神は、金と権力を自分の努力目標とすることで、自分を普遍的なものにまで形成しようとする
しかし、それらは自立的な本質ではなく、自分がそれらに力を与えているだけであり、
むなしいものであることを知る。
それはこの世が空無であることを知ることにほかならず、真理はこの世界の外、彼岸にあることを知る
この彼岸は、信仰において精神の純粋意識に対して現れてくる

この信仰は、確かに精神の思惟であるが、まだ自分自身を思惟として認識していない思惟であり、
表象としてしか現れない
この信仰は肯定的な内容をもってはいるが、自己意識自身の否定的な対象的存在としてしか現れない

信仰の世界は、他なる世界である限り、精神の思惟ではない、それは宗教において存在している
即時かつ対自的精神ではない、宗教は絶対精神の自覚
信仰は宗教ではなく、現実性に対立する契機にすぎない(自己疎外的精神の一つ)
宗教は、不幸なる意識の主観性と信仰する意識の対象性との結合

信仰は現実性(透見)とたえず戦うことにおいてしか現れない、両者は不可分なもの
一方は肯定性(不動の真理)であり、他方は否定性(普遍的自己)
一方はこの世からの逃避であり、他方はこの世の結果である

信仰の不純、堕落は、思惟の世界に実在する世界を直接的に移し入れたことにある
ルターによって始められた精神の自由のための戦いは、啓蒙によって遂行される

ところが透見は自分に肯定的な内容を与える(功利主義)
彼岸(信仰)と此岸(啓蒙)は統一され、フランス革命となる
しかしそれは恐怖政治となり、ナポレオンの登場とともに
疎外された精神は自己確信的な精神(カントの道徳主義)となる
No.590
自然の内奥の誘引と意識の能動性が同一的であるという意味ではまだ抽象的かつ形式的だ。「法」の生じる条件は意識を厳密に具体化することによる。
No.591
人は未熟でありうる。例えば「このルールに従っているから私は完全に倫理的である」と考えるのは少し気恥ずかしさを感じさせる。自らの未熟を直観する余地があること、あるいは成熟へ進む余裕があること、これが大人であるだろう。
No.592
人間関係により理性が構築されるとしたところが
ヘーゲル最大の功績だわな
No.593
ヘーゲルはドイツの哲学者、詭弁家

功績①:テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、というトリアーデを考案。

功績②:テーゼとアンチテーゼの矛盾を克服するアウフヘーベンを考案。

功績③:精神現象学を著書。意識の旅がいまはじまる

功績④:絶対知を考察し、意識の旅の終着地点を絶対知の拠り所に見出す。
No.594
生まれること
生きていること
死ぬこと
世界はすでに全て"絶望"という烙印を押されて
存在している
No.595
ゲンロン東浩紀スレ
No.596
ベネズエラ侵攻、空母に乗った世界精神だなんて今世紀史上もっともバカげた話になるんじゃないか??
No.598
歴史哲学講義を少し読んだけど
世界史の教科書っぽかった
No.599
物理がニュートンのプリンシピア
No.600
『朝鮮人は日本の権力者、いま日本を支配しているのは朝鮮人』
戦後から今日まで日本はアメリカの占領政策により、朝鮮人を利用した日本の隷属化を受け続けている
もはや日本人に成りすました朝鮮人が日本の支配層なのだ 
今や朝鮮人は差別する「権力者」であって日本人は差別され抑圧されているのである 帰化朝鮮系に「差別」と言わせるな、日本人の側が
「差別」するなと言い返せ 反転攻勢、日本人が帰化朝鮮家系の人間を責めていこう
戦後日本は帰化朝鮮家系の人間によって支配され、それによって大韓民国と北朝鮮に侵略行為を受けている
帰化朝鮮家系の人間がやっていることは日本人を対象にした迫害であり「民族浄化、ジェノサイド」だ

帰化系の人間のみで徒党を組み「日本人」になりすまし新聞、出版社、司法、テレビ局、NHK、作家、芸能人、起業家、大学教授に
成りおおせ日本人を「排除」している これは明白な「差別」である
朝鮮帰化系人こそ今の日本の体制の人間であり、従属を強いられているのは「日本人」の方である

まずやるべきは「政治家に立候補する時、外国の家系の人間か否かを公表する」を立法化しよう
国際的にも一般的で、アメリカでも何系かはすべて明らかにされている
そうなると帰化朝鮮家系の人間に支配されたメディアは差別だと言うだろう、しかし現段階でも与野党問わず多くの政治家が朝鮮帰化系人だ
暴動を起こさなければならないのは「日本人の側」だ、「主権の侵害」どころ
ではない、「日本国国家」を乗っ取られているのだ

日本は堂々と「何系日本人」であるかを確認できる社会にすること、ないしは名前で判別できるようにすること
朝鮮帰化系人だと隠し政治家、報道関係者、会社の上司、音楽家、裁判官、企業のトップ、公務員に居座ることを許さない社会にしよう
芸能人、アナウンサー、コメンテーター、五輪代表含むスポーツ選手に日本人はほぼ皆無、『朝鮮帰化系人』だ、日本人じゃない
左翼を名乗る朝鮮系が差別だと日本の体制を批判しているが、その体制はもはや奴ら朝鮮帰化系人のものであって国家の乗っ取り行為に他ならない

アメリカ人による朝鮮系を使った日本国の隷属と、朝鮮帰化系人による日本人を対象とした「民族浄化」が行われていることを
現在のアメリカ人は知らない、アメリカにこの事実を広めていこう
No.601
叢書・ウニベルシタス 1202 自由の思惟 ヘーゲルの『法哲学要綱』
クラウス・フィーヴェーク:著, 大河内 泰樹:監訳, 滝口 清榮:監訳, 早瀬 明:監訳
四六判 / 926ページ / 上製 / 価格 11,000円 (消費税 1,000円) 
ISBN978-4-588-01202-0 C1310 [2026年04月 刊行]
法政大学出版局
No.602
自由の思惟、楽しみだ。
No.603
法の哲学を読み直してるんだが、副読本としては、はじめてのヘーゲル法の哲学より、古いけど有斐閣新書のヘーゲル法の哲学のほうが参考になるな。
No.604
私は『精神現象学』専門に読んでます