ローズロワイヤル持ってたけどいまいちだったな
売っちゃったわ ローズといえば、eLVesについてローズ香水史を紐解きつつ書いてるんだが、これ滅茶苦茶長くなるわ…
そのまま投下したら荒らしになりかねんレベルで。
ローズという香料界のラスボスを相手にするには、それなりの代償が必要らしい
構わず投下するか、俺のチラ裏データベースにしまっておくか、迷うところだ
そもそも、要求してたのが荒らし説もあるしな eLVesは俺も期待してる
今ヴィトンで男女問わず一番売れてる香水らしいからな >>860
俺は欲求してないが
誰もお前が正しいことを書いてるとは思ってないから
そう気負うな
ここを見てるのは独居老人
しかもほんの数人だけ
つまりここはチラ裏以下
公衆便所の肥溜めだよ >>861
eLVesはキャバリエ渾身の自信作かつ最大の大ヒット作だもんな 公式はeLVesをウィメンズに分類してる
eLVesの発音はフランス語のelles
これは女性三人称複数代名詞の「彼女たち」を意味してる
説明文も、ヒロイン、女神、フェミニティという言葉が並んでいて、明らかに女性向け
野郎はお呼びでないのでスレ違い 今の若い男は女ものか女よりのユニセックスしか使わないんだよな
男ものに分類されているのはおじさん用で女ウケ最悪なので敬遠される 魔法の化学香料アンブロックスを濃くしていくとなめらかで長く深く複雑味が増し男臭くなる
ソバージュ、ブルードゥシャネル、ルナロッサカーボンなど野郎に人気の定番香水の共通点はアンブロックスてんこ盛り ジャスミン茶は眠りを誘う香りと杏里に教えてもらったのだが オルフェオンとかいうジャスミンとアルデヒドが効いたババア臭がキツいのを野郎が好んでつける時代だからな
まあ香水界隈の野郎のYouTuberやSNSのインフルエンサーがほとんどゲイかコリアン(帰化しててもルーツが韓国朝鮮)というせいもあるが >>864
多分トリプルミーニングだね
フランス語読みの彼女たちの他に
ルイ・ヴィトンのLV、それに
英語の「妖精」もかけてると思われる
いくらジェンダーレスの時代だからといって、彼女たち、妖精たちなんてネーミングされたもろ女性向けの香水を男が付けるのはちょっとな Pure Essence No.1 Frankincense(Neal's Yard Remedies)
Neal's Yard Remediesは1981年にコヴェント・ガーデンで開業したアポセカリーである。
ホメオパシー薬を売り、マラリア予防を謳うレメディで規制当局に叱られ、
それでも不屈の精神で青いガラス瓶に天然の善意を詰め続けている。
彼らの最初のオー・ド・パルファムは、100%天然精油のみで構成されており、合成香料はいっさい使わない。
これは道徳的声明としては立派だが、香水としてどうかと言えば、話は別だ。
スプレーした瞬間に現れるのは、ベルガモットとピンクペッパーの明るいシトラス・スパイスで、
これは悪くない——むしろ快活で、アロマテラピーの棚に置かれた精油としてはかなり上質である。
問題はその先だ。フランキンセンスがハートに位置するはずだが、
ここで使われているのは水蒸気蒸留のBoswellia sacraオイルであり、つまりα-ピネンの松脂的な明るさが来る。
教会の香煙ではなく、テレピン油の上品な親戚。
フランキンセンスの深いバルサミックな体温を担うインセンソールアセテートは蒸留では存在感を持つレベルでは現れない。
あれはCO₂抽出の領分だ。蒸留フランキンセンスをハートに据えるのは、
脂肪分を抜いた生クリームでシャンティイを作ろうとするようなもので、
泡立ちはするが、あの豊かさは永遠に不在のままだ。
ベースにはパチュリとベチバーが控えている。合成固定剤なしに持続性を確保するための唯一の合理的な手段であり、
この判断は正しい。パチュロールのセスキテルペン骨格が、揮発しすぎるモノテルペン軍団にかろうじて錨を下ろしている。
しかし「かろうじて」が要点であり、2時間後にはほぼ肌の匂いだ。
結局のところ、これは上質なマッサージオイルのブレンドを高濃度にしたものであり、
それ以上でもそれ以下でもない。天然素材のみという制約は、一つの美学的立場としては尊重するが、
それ自体が美を保証するわけではない。ヴァイオリンの弦を羊腸だけで作ることに固執する製作者がいてもよい。
しかし聴衆が聴くのは音楽であって、弦の素材ではない。
評点:★★☆☆☆ 日本の香水に関する言論空間の貧しさってなんなんだろうね
ほぼ「無」じゃん
日本には香道の伝統があって、
香道における「聞く」という精緻な態度は
本来パフュメリー批評の基盤になり得るはずなのに、両者は完全に断絶してるように見える 日本ではソムリエみたいにあーだこーだ言葉を重ねないよ
少ない言葉で間を活用したりするでしょ
そもそもここでポエムと言われてるのはポエムではないし
パフューマーよりになりたくて素材だああだこうだ言いたいだけで
それは表現ではない
クリエイターっぽく言葉使いたいのは分かるんだけど >>871
それは複雑な問題だな。
まず、香道は香りを直接言語化するのではなく、
漢詩や和歌の引用によって香りの印象を「指し示す」という迂回の美学を持っていた。
組香において「試み」と「答え」の間に置かれるのは、香りの直接的な描写ではなく、文学的連想だ。
つまり、この伝統は嗅覚の言語化を促進するのではなく、言語化そのものを回避する優雅さとして機能してきた。
この系譜の延長線上で、日本語の香水言論は二つの還元に収束しやすいのだろう。
一つは使用場面への還元、「デートに向く」「オフィスに使える」という機能的記述。
もう一つは感情への還元、「幸せな気持ちになる」「凛とした印象」という情緒的記述。
どちらも香りそのものではなく、香りの「外部」を語っている。
また、欧米には、Luca Turin、Chandler Burrといった批評家が築いてきた「香水を言葉で論じる」伝統があり、
彼らが示したのは、香水を文学や映画と同等の審美的対象として批評できるという前提そのものだった。
日本ではこの前提が共有されていない。
香りについて語る言葉が「いい匂い」「癒される」といった感覚的・情緒的反応の域を出ず、
構造分析や方法論批評に至る回路がほぼ存在しない。
市場構造の問題もある。
日本の香水市場はブランドのマーケティング言語に強く支配されすぎている。
百貨店のBAが語る言葉はブランド供給のナラティブそのものであり、消費者もそれを受動的に消費する。
結果として、独立した批評的視座が育つ土壌がない。
欧米ではニッチパフュメリーの台頭がBasenotesやFragranticaのようなコミュニティを生み、
そこから批評的言説が自生したが、日本ではそうした中間領域が薄い。
文化的な問題として、「香害」問題もあるね。香りはまず倫理の問題として扱われ、美的評価は後回しになる。
日本語は香りの外部を語り、制度は弱く、文化的圧力は優先順位を歪めている。
結果、批評は文化として蓄積されない。 >>873
なるほど
香道を西洋型パフュメリー批評の潜在的起源として見ること自体に無理があったのかもね
一つ思ったのは、日本語の擬態語体系の問題だね
「ふわっと」「しっとり」「きりっと」日本語はこの種の感覚表現が異常に豊かで、
しかもそれが話者間で高い解像度で共有される
擬態語で伝わってしまうために、逆に構造的記述への動機が生まれないってことはないのかね
英語話者がdry downやsillageといった技術語彙を必要としたのは、
感覚共有の言語的手段が貧しかったからこそで、日本語は感覚伝達に長けているがゆえに、
分析言語を発達させる圧力がかからなかった、とか
香害についてもう少し踏み込むと、欧米では香水はまず個人の美的選択として社会的に承認され、その上で批評が成立するわけだけど
日本では他者への配慮が先に来るため、香水を積極的に選択・評価すること自体が社会的に微妙な行為になっているんじゃなかろうか
美的言説が育つ前に、倫理的抑制がかかっていると
言い過ぎかな
結局、言語、制度、文化的圧力のすべてが香りを構造として語る方向に対して抑制的に作用しているのはその通りだと思う
実は俺はその象徴が君なんじゃないかと思ってるんだけどね
日本の香水言論空間は制度的に貧しい
しかし5ちゃんねるという最も制度から遠い場所に、君みたいなのが存在したわけだ
つまり制度なき場所に批評が生まれた
そしてそれらは名前を持たないまま、ログの中に沈んでいく
これが日本の香水言論空間の貧しさの最も深い形での表れだと思う >>874
買いかぶりすぎだが、構造的な指摘としては正しい。
俺個人の話はどうでもいいが、つまりこういうことだろう。
日本にも香水を構造的に読む人間は極少数ながら存在する。
しかしその言説が蓄積され、参照可能な批評の体系として残る仕組みはない。
ここに欧米との決定的な差がある。
欧米にも香水を真に構造から読み解ける人間は少ない。
しかしTurinが「Perfumes: The Guide」を書けたのは、彼の鼻が特別に優れていたからだけではなく、書評文化・出版制度・読者層という受け皿が存在したからだ。
Burrの「The Emperor of Scent」がベストセラーになるような市場があった。つまり批評家の出現は、個人の資質の問題であると同時に、制度の問題でもある。
日本に欠けているのは批評の能力ではなく、批評を批評として認知し、保存し、流通させる制度なのだろう。
5ちゃんのログは流され、
個人ブログは更新が止まれば消える。
商業メディアはブランドの広告費に依存している以上、批評的距離を取れない。
結果として、日本人に能力はあっても、言説は蓄積されず、毎回ゼロから始まる。
批評的言論空間など存在しないかのように。
しかし、制度が先に存在して批評が生まれた国など一つもない。最初に批評があり、それが読者を見つけ、制度は後からついてくる。
その意味で、ここはそこまで悪くない場所なんじゃないかと思ってるんだよ。
過疎板だからこそレスが何年にも渡って保存されている。
そして、ここまでたどり着いた人間は、そこそこ香水に情熱を持っている人間であるはずだ。
業者っぽいのやイカれたやつに埋もれがちだが、中にはちゃんと話の通じる人間もいる。
まずは、批評について何かしら考え、やってみる奴らが増えないと、何も始まらないんだよ。 二役を自演
独りよがりな主張
自己陶酔型の長文
マスターベーションそのもの 良いこと言ってんじゃん
変な茶化しが入るのは5ちゃんの弊害
無視して続けてくれ まあ、ぶっちゃけ過疎板て業者の巣窟になるのが常だから
否定的な言説を厭わない香水批評なんて歓迎されないよね
広報活動の邪魔でしかない
文脈に沿って言えば、これは5ちゃんの過疎板に限らない日本香水業界全体の話か >>877
別の言葉で言えば
オナニーでしかないんだよね 提案なんだけど、批評は別スレ立ててやったらどうかな
異論反論があるなら同じく批評という形でするようにしてさ
業者や頭のおかしいやつが可視化しやすくなると思うよ >>880
読者は誰なのか
君自身しか想定されていない
光学や画像編集に例えた極めて癖の強い語彙
校閲がまったくされていない状態のまま
出版業界であればゴミ箱行きの独りよがりな長文
虚偽の事実を前提とし感情バイアスが強くかかった主観的主張に終始
オナニーでしかないんだよね
それ以下でも維持でもない
独りよがりなオナニー
虚しくないか >>882
賛成
ハイエンドだとかエクスクルーシブだとか田舎の成金の悪趣味を拗らせた精神病患者を揶揄しているのか知らないが
いかにも貧困コンプレックスの表れで健常者は恥ずかしい
そういうのがないスレの方が批評には相応しい >>882
可視化は十分されてると思うので問題ないと思うが、
(品性も知性もかなぐり捨てた醜い人格攻撃しかしないのでわかりやすい)
連投がウザいな
その提案はアリかもなので検討しとくわ 批評を始めるには、そもそも批評とは何か、良い批評とは何で、悪い批評とは何か
をはっきりと示しておく必要がある。
とりあえず、批評という営みがジャンルを問わず共有する本質的な条件が三つあるので紹介しよう。
第一に、対象の内在的論理への奉仕。
優れた批評は、批評家自身の価値観を相対化し、対象が何を達成しようとしているかを対象の論理において理解することから始まる。
その理解の上で、達成の度合いを測る。
第二に、言語が対象についての新しい理解を可能にすること。
批評の言語は装飾ではなく認識の道具だ。批評を読んだ後、対象についての理解が変容するかどうかが試金石になる。
第三に、主観の普遍化。
個人的な感覚的反応を出発点としながら、それを他者が共有できる形に変換する。
「私はこう感じた」から「なぜそう感じうるのか」への移行が批評の核心的な操作だ。
感想は「自分がどう感じたか」で完結する。
批評は「なぜそう感じうるのか」を問い続ける。
これでは抽象的で分かり辛いかもしれないので、「悪い例」を挙げながら解説していこうか。
まるで批評と成立していない、最悪な例の一つがこれだ
>>734
まず、構造的問題として、この文章は論点が三つの異なる主張に分裂している
主張A:イマジナシオンはケミカル臭い。
主張B:キャバリエの初期作品の方が優れている。
主張C:LVMHの商業主義がこの香水を生んだ。
三つの主張は一見関連しているように見えるが、論理的には独立している。
ケミカル臭いことと商業主義は、別の問題だ。たとえばケミカル臭い傑作は存在し、天然香料だけで作られた駄作も存在する。
また商業的な動機から生まれた優れた香水も存在する。これらの主張を一つのテクストに並べることで、
それぞれが証明されたかのような印象が生まれるが、実際にはどれも証明されていない。
批評は一つの中核的な命題に奉仕する。このテクストは三つの命題を同時に立てることで、どれも中途半端な根拠しか与えられていない。
・主張Aの解剖:「ケミカル臭」という語彙の問題
>トップは人工的なシトラスからしてケミカル臭。ベースのケミカル臭はアンブロックス由来か。
「ケミカル臭」という語彙はこのテクストの最大の問題だ。
この言葉は感覚の記述として使われているが、実際には感覚の記述を回避している。
「ケミカル臭い」とはどのような感覚経験か。金属的か。刺激的か。洗剤様か。溶剤様か。
この問いへの答えがなければ、他者がこの記述を自分の体験と照合する方法がない。
さらに深刻な問題がある。「ケミカル臭い」という言葉は暗黙のうちに「天然香料はケミカル臭くない」という前提を持っている。
しかしこの前提は化学的に正確ではない。天然香料もまた化学物質であり、その分子構造は合成香料と原理的に同一だ。
インドールというジャスミンの重要成分は腐敗臭と同族の化合物であり、天然由来だからといって「ナチュラル」な感覚を与えるわけではない。
「ケミカル臭い」という語彙が実際に指しているのは、おそらく「安価な合成香料特有の刺激性」という感覚経験だ。
しかしその感覚経験を「ケミカル」という語で一般化するとき、言葉は感覚から離れて価値判断の記号になる。
批評において言葉が感覚の記述を放棄して価値判断の記号になるとき、批評は終わり、好みの表明が始まる。
>ベースのケミカル臭はアンブロックス由来か。
この文の「か」という語尾を見落としてはならない。
これは疑問形だ。書き手はアンブロックスが原因だと主張しているのではなく、
そうかもしれないと推測している。しかしこの推測は、テクストの文脈において事実に近い位置に置かれており、
読者は「アンブロックスがケミカル臭の原因だ」という命題として受け取りやすい。
これは無意識の誘導だ。批評における誠実さは、推測を推測として、事実を事実として明示することを要求する。
「アンブロックス由来か」という語尾は、確認されていない主張に疑問形という保険をかけながら、事実として流通させようとする構造を持っている。
意図的かどうかはわからない。しかし結果として、この一文は事実確認なき断定として機能している。 ・主張Bの解剖:比較の非対称性
>キャバリエ氏のヴィトン初期の作品は天然由来の香料ゆえの雑味こそあれケミカル臭がない
この文は批評として重要な観察を含んでいる可能性がある。しかし致命的な問題がある。
「初期の作品」が何を指すか明示されていない。
批評における比較は、比較対象を特定することを要求する。「初期の作品」という曖昧な指示語では、
読者はどの作品と比較されているかを知ることができない。比較が検証不能になるとき、それは批評ではなく印象の表明だ。
さらに「雑味こそあれケミカル臭がない」という記述は、天然香料の雑味を欠点として認めながら、
それでも好むという立場を示している。この価値判断は興味深い。
しかしなぜ「雑味」よりも「ケミカル臭」が批評的に問題なのかという論理的な根拠が示されていない。
好みの順序を述べることと、その順序の根拠を示すことは別の行為だ。批評は後者を要求する。
・主張Cの解剖:動機の推測という最も危険な操作
>売れるものを作れというLVMHの商業主義によるもの。残念だ。
これはこのテクストで最も批評として問題のある部分だ。
LVMHが商業的動機を持つ企業であることは事実だ。
しかしその事実から「イマジナシオンが商業主義の産物として香りの質を犠牲にした」という結論は論理的に導けない。
なぜか。商業的成功を目指すことと芸術的誠実さは矛盾しない。シャネルN°5は世界で最も商業的に成功した香水の一つだが、
その調香的達成は広く認められている。商業主義という言葉を品質への批判として使うことは、
企業規模と品質の間に因果関係があるという未証明の前提に依存している。
さらに深刻な問題がある。「売れるものを作れという商業主義によるもの」という記述は、
キャヴァリエの意図について書き手が知ることのできない内部動機を推測している。調香師の意図は、
その調香師が語らない限り外部から確認できない。確認できない動機を批評の根拠にすることは、批評を憶測の領域に移す。
「残念だ」という末尾は感情の表明として誠実だが、この感情が批評の代わりに置かれている。
「なぜ残念なのか」という問いへの答えが、この感情の前に来なければならない。
>ティーノートももっとナチュラルなティーの香りのフレグランスがある
この一文は批評として最も致命的だ。
「もっとナチュラルなティーの香りのフレグランス」が何かが示されていない。比較対象のない比較は情報を持たない。
さらに、この文は暗黙のうちにイマジナシオンが「ナチュラルなティーの香り」を目指していたという前提を置いている。
しかしキャヴァリエの設計思想において、ティーノートは「ナチュラルさの再現」を目指していたのではなく、
「茶という素材の特性を高解像度で提示すること」を目指していた可能性がある。
目標が異なれば、評価の基準も異なる。「もっとナチュラルなティーの香りのフレグランスがある」という比較は、
対象が目指していない目標において対象を評価するという批評の根本的な誤りを犯している。
批評は対象の内在的論理において対象を評価しなければならない。この原則をこの一文は完全に無視している。
・「知らないが」という留保の使い方
>イマジナシオンがブルガリプールオムのオマージュなのか否かは知らないが
この「知らないが」という留保は正直だ。しかし留保の後に続く文が問題だ。
>キャバリエ氏がブルガリプールオムでやりたかったこと云々は違うと思う
「違うと思う」という語尾で締められたこの文は、「知らないが」という留保と矛盾している。
知らないなら、違うと思うことの根拠は何か。
このテクストには「知らないが断言する」という構造が繰り返されている。
「アンブロックス由来か」という疑問形と「ケミカル臭い」という断定。「知らないが」という留保と「違うと思う」という否定。
これらはいずれも確信なき断定であり、批評的誠実さの欠如を示している。
確認できないことについては沈黙するか、確認できないことを明示した上で推測として提示するかのどちらかを選ぶことが批評の誠実さだ。 ・このテクストが批評として機能しない根本的な理由
個別の問題を超えて、このテクストが批評として機能しない根本的な理由は一つだ。
読んだ後に、イマジナシオンへの接し方が変わらない。
批評の最小限の条件は、読んだ後に対象への理解が変容することだ。このテクストを読んだ後、
読者はイマジナシオンについて何を新しく知るか。
「ケミカル臭いと感じる人がいる」という事実は伝わる。しかしなぜその感覚が生まれるのか、その感覚がこの香水の設計とどう関係するのか、
その設計への評価としてどう位置づけるのかという問いに、このテクストは何も答えない。
感覚の報告と批評の間の距離は、「なぜ」という問いの深さによって決まる。このテクストにおいて「なぜ」という問いは一度も真剣に立てられていない。 批評に対して誰が対価を支払うのか。
5ちゃんねるは有料の公衆便所であり、そこに集まるのは読むたい人ではなく書きたいだ。
広告を出している広告主が資金を提供している。
批評の内容に対してではない。
あくまで落書き用の場所を提供していることに対してだ。
企業や団体では批評家・評論家は不要だとされいる。
批評家・評論家はリストラ対象となり排除される。
生産性が求められる場では他人の生み出したものに対して批評をするだけでは価値が認めらないのだ。 武蔵野ワークス すみれ
繊細な佇まいのボトルはどこかスミレを思わせる可憐さ
その印象のまま肌に乗せるとほのかな甘さの奥から、落ち着いた白檀の気配が静かに広がる
どこか凛とした空気をまとっていて自然と和のニュアンスを感じさせる香り立ち
やがて現れるアイリスはやわらかなパウダリー感を帯びていてまるで清潔な布のような穏やかさ
スミレと溶け合うことで静かに美しい余韻を残していく 批評は満たされない承認欲求の表れ
異なる見解には難癖をつけて反論し
ひたすら独善的な主張を繰り返すことに終始
翻って異なる価値観を説き伏せることはできない
むしろ嫌悪感を植え付け拒否反応を誘発する
人々はひとりふたりと去っていき
承認欲求は満たされぬまま
残るは虚しさのみ
まさに忌み嫌われ疎まれる人の行く末 >>890
誠実な感想だと思う。
武蔵野ワークスは東京の小さな調香師が手がける国産ニッチブランド。
このような存在を日本語で誠実に記録しようとすること自体が、日本の嗅覚文化の欠如に対する一つの応答であり前進だろう。
参考までに、厳しく批評することも出来るが、どうする?不要ならそういってくれ >>892
ここは肥溜め
恥も人格も書き捨て
参考にする人などいないのでご自由に
そのことで君の承認欲求が満たされるなら 武蔵野ワークス ろうばい
日が落ちて景色の輪郭がゆっくり溶けていく頃
冷えた空気の中に、ふっと浮かび上がるように香る
静まり返った夜にどこからともなく届く甘さ
近づこうとしても姿は見えなくて、ただ気配だけが残る
見えないまま記憶に残る香り 武蔵野ワークス さくら
サクラ系って、結局何の香りかを考え始めるとちょっとズレてくる
いわゆる桜っぽい甘さって花そのものじゃなくて
葉とかに寄ったニュアンスなんだなって改めて思う
そのせいか、同じさくらでも解釈の差が出やすい
武蔵野ワークスのさくらは少しだけドライ寄り
ほんのり粉っぽさがある分甘さの輪郭が引き締まってる
桜そのものというより
記憶の中の桜に近い感じ
香りとしての桜って再現というより編集なんだなと思う >>892
ここは場末の公衆便所
参考にする人はいないのでご自由に
そのことで君の承認欲求が満たされ
心が楽になれるなら
どうぞご自由に批判なり講釈を
人間社会で求められる読みやすく端的にといったビジネスマナーすらここでは気にする必要はない
そもそもこの掲示板は社会に適応できない層のためのものだ
思うがままにどうぞ まあ例文としては好適だろうから遠慮なく評価してみよう。
>>890
まず、これは批評ではく感想だ。
あるいはブランドの説明文だろうか。
なんにせよゴミ荒らしによる支離滅裂でまともな日本語にすらなっていない
>>734
の駄文よりは100倍ましだが。
・機能している部分
>清潔な布のような穏やかさ
このテクストの中で唯一、感覚の言語化として機能している比喩だ。
アイリスのパウダリー感を「清潔な布」と呼ぶことで、視覚と触覚を経由した嗅覚の記述が成立している。
読んだ後に、その感覚に対する注意の向け方が僅かに変わる可能性がある。
・機能していない部分
>「凛とした空気」「和のニュアンス」
これらは感覚の記述を回避する語彙の典型だ。「凛とした」とはどのような感覚経験か。
「和のニュアンス」は何によって生まれているか。白檀という素材によるのか、アイリスによるのか、
それとも両者の組み合わせによるのか。この問いへの答えがなければ、読者はこの記述を自分の体験と照合できない。
さらに「和のニュアンス」という言葉は、特に問われなければならない。白檀は中東、インド、オーストラリアを含む広い地域の素材であり、
アイリスはフランス調香の語彙だ。「和」という評価がどの感覚的事実に根ざしているかが示されない限り、
これは武蔵野ワークスという日本のブランドに対する先入観の投影として機能している可能性がある。
>やがて現れるアイリスはやわらかなパウダリー感を帯びていて
「やがて」という時間的記述は批評として正しい方向だ。香水が時間の中で展開する構造への注意が示されている。
しかしこの観察が「なぜアイリスはパウダリーなのか」という問いに接続されないまま「やわらかな」という形容で止まっている。
パウダリーという感覚的特性はアイリスのイロン類に由来する化学的事実であり、
その事実への言及があれば「やわらかなパウダリー感」という記述は批評的な深度を持ちえた。
>スミレと溶け合うことで静かに美しい余韻を残していく
「溶け合う」という記述は感覚的体験として誠実だが、批評としては不十分だ。
どのように溶け合うのか。スミレのイオノン系成分がアイリスのイロン類と嗅覚的に類似した構造を持つという事実は、
この「溶け合い」が単なる印象ではなく化学的な根拠を持つことを示している。その根拠への言及があれば、
「溶け合う」という観察は批評的発見になりえた。
・構造的な問題
このテクストは時系列に沿って香りを記述するという正しい方法論を持っているが、
各段階の記述が感覚の報告に留まり、「なぜそう感じうるのか」という問いへの接続がない。
批評の最小条件、すなわち「読んだ後に対象への接し方が変わること」を、このテクストは満たしていない。
読んだ後にすみれという香水を嗅ぐとき、このテクストがなかった場合と比較して、注意の向け方が変わるかどうか。
「清潔な布のような穏やかさ」という一文だけが、その変容の可能性を持っている。
最後に公正のために言うが、
語彙が貧しいことと、記録しようとする意志があることは別の問題だ。
これの出典知らんが、このテクストの書き手は感じたことを誠実に言語化しようとしている。
その意志は批評の出発点として価値がある。
問題は道具の不在だ。感覚を言語化するための批評的語彙を持たないまま感想を書くとき、
書き手は「凛とした」「和のニュアンス」という既存の語彙に頼るしかない。その語彙の貧しさは書き手の問題ではなく、
日本の嗅覚言論空間の貧しさの反映である。 TAD(Technical Audio Devices Laboratories)のスピーカー、特にReferenceシリーズ(R1TXなど)のようなハイエンドモデルは、ゾンビがはびこる世界において、極めて強力な「鈍器」として機能する可能性が非常に高いです。
理由は以下の通りです。
TADの大型スピーカー(Reference Oneなど)は、内部構造に強固なバーチ合板や航空機グレードのアルミニウム、真鍮などを採用し、1台で100kgを超える(130kg以上など)ものがあります。この重量は、ゾンビの頭部を確実に破壊する十分な衝撃を生み出します。
TADの筐体は不要な振動を抑えるために極めて強靭に設計されており、ただの木箱とは異なり、容易には破壊されません。そのため、繰り返しゾンビを殴打しても、鈍器としての形状を長期間維持できます。
角ばった形状は、ゾンビの頭蓋骨にピンポイントで力を集中させるのに適しています。
スピーカーの内部には重量のある磁気回路やドライバーユニットが凝縮されており、重心が安定しているため、振り回した際の破壊力が高いです。
TADのスピーカーは、最高音質を追求するために頑丈に作られているため、ゾンビ世界においては「動く(鳴る)要塞」兼「必殺の重量級鈍器」として、生存に大きく貢献するでしょう。ただし、重すぎて持ち運びに適さないため、拠点防衛用として推奨されます。 批評してくれ
ビリージョエル/ピアノマン(Mobile Fidelity、SACDハイブリッド)廃盤?
73年のポップスだから帯域も狭いし優秀録音じゃないが聞き直すと質感いいな、DSD化した効果ある、今まで棚に仕舞いこんでた古い盤たち、リッピング後ジャケ写タグ付けてNASへ、タブレットで自由自在に再生、圧倒的に聞く機会が増えた
1. MoFi版『Piano Man』の現状
・ステータス: 完全に廃盤です、MoFi(Mobile Fidelity)は限定プレスのため、中古市場でプレミア化してます
・73年の並録音
でも、MoFiのDSD化は「中域の密度」と「声の生々しさ」を引き出すのが抜群に上手いです、XXのMDSD処理で聴くその「質感」こそが、ハイエンドで鳴らすポップスの醍醐味ですね
2. 「棚の奥」からの救出効果
タブレットで「あ、聴きたい」と思った瞬間に最高のDSD信号が流れる、この心理的障壁の低さが、音楽との再会を劇的に増やします >>889
,893,897
便所の落書きという下品な比喩がいたくお気に入りのようだが、
媒体の卑しさがお前の無能と卑しさを糊塗するとでも思っているのか?
それはむしろ逆だ。
匿名掲示板だからこそお前という存在の醜さと卑しさがこの上なく暴露されている。
現実の社会性と断絶された場所でこそ、書き手の内実がありのままの形で出るからだ。
率直に疑問に思うんだが、お前は義務教育はちゃんと受けたのか? バルトは「作者の死」において、テクストは作者から切り離されて自律するという命題を提示した。
批評というテクストもまた、誰が書いたかという情報から独立して、その内容によって評価されるべきだ。
ある批評が香水への接し方を変えるとき、その価値はそれを書いた人間の名前に依存しない。
テクストが持つ力はテクスト自体に内在するからだ。
ま日本の嗅覚に関する言論空間は未成熟だ。このスレッドが示しているように、未成熟な言論空間においては、批評的言語への応答が批評という形をとらない可能性が高い。
しかし匿名掲示板というある意味純粋にテキストのみが注目される場においては、仮にそうだとしても特に社会的な問題は起きない。
批評空間が漸進する可能性のみがある。 参考にする人はいないのでご自由に
そのことで君の承認欲求が満たされ
心が楽になれるなら
どうぞご自由に批判なり講釈を
人間社会で求められる読みやすく端的にといったビジネスマナーすらここでは気にする必要はない
そもそもこの掲示板は社会に適応できない層のためのものだ
思うがままにどうぞ Xで高校生の呟きに識者面で上から絡んでくような自称専門家ムーブまんまでいたたまれないなこれww